Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・一般教育部・野島 高彦)

北里大学で過ごした15年間:2009年4月〜2024年3月

北里大学で働き始めたのは2009年4月でした.専任講師を5年間やって,准教授を10年間やりました.

写真とかおくりものとか15年間の思い出

●むかし・2008年度まで

むかしのことは忘れました.
2006年度から2008年度まで東京大学生産技術研究所で助手〜助教をやっていたことは覚えています.いま東大総長をされている藤井輝夫教授の研究室でした.いろいろな専門分野の研究者が世界中から集まっており,私は化学系のアレコレを担当していました.

2008年のクリスマスソングが聞こえてくる時期に J-RECIN で北里大学の一般教育部化学教員公募情報をみつけて,応募書類を送ってみたら正月明けの面接に呼ばれて,しばらくして採用連絡が来ました.完全公募でした.

●1年目・2009年度

2009年度水曜1限,医療工学科の1限「化学」

着任して最初におこなった授業は,4月14日火曜2限の「化学要習」でした.よく覚えています.他に最初の年に担当したのは,医療工学科の「化学」(水1・通年・現在まで継続担当),看護学部の「化学」(金2・通年・2017年度まで担当),木金午後の化学実験でした.

講義の準備にはそれなりに労力を注ぐので,せっかくだから講義録を残して行こうと考えて,ブログ形式で記録して行きました.これが3年後の著書『はじめて学ぶ化学』につながりました.講義録ブログは2019年度まで続けました (2020年度にコロナ禍が始まってオンライン教材を作り始めてそちらに移行).

●2年目・2010年度


講義でTwitterの可能性について紹介したら,オンラインのネットワークが広がっていきました.このネットワークはどんどん広がり,現在,北里大学関係の4000人を超える人々とのつながりに成長しています.

この年の前期に,小惑星探査機はやぶさ が小惑星からのサンプルを地球に持ち帰って来て,そのサンプルの解析が,大学近くのJAXA宇宙科学研究所でおこなわれていました.

ということを講義で紹介したら,ソコに見学に行きたいと言ってきた学生が何人かいたので,それじゃ引率して見学に行くかっていうことになって,特別公開 に行ってきました.これがきっかけとなって,あちらこちらに見学に行くイベントを企画することになり,その企画に「探検隊」という名前を付けました.行くたびに「第○次探検隊」という名前を付けました.これは2012年の「第7次探検隊」まで続きました.

前期には,スタディ・スキルの演習科目「教養演習『大学生としての学び方』」の一部を分担しました.この科目を担当されていた先生がたから,実験ノートの書き方とか,実験レポートの書き方とかを扱う回を担当してほしいと頼まれたからです.これもせっかくなので講義録を残しておこうと考え,解説記事「実験ノートには何を記録するのか?」を書いたところ,実験ノートについてのGoogle検索アクセスランキングで数年間にわたって全国1位に留まり続けることになりました.これが7年後の著書『誰も教えてくれなかった実験ノートの書き方』につながりました.

夏に校舎の引っ越しがありました.1968年の相模原キャンパス開校時から使われてきた旧L1号館(解体されて今はない)から,いまのL1号館に移りました.

年度末の3月には,東北大震災がありました.当時,海洋生命科学部があった三陸キャンパスも被災しました.北里大学では三陸キャンパス周辺の在学生や教職員に連絡をとろうとしましたが.電話回線は遮断され,電子メールによる連絡も不可能な状況になっていました.しかし,Twitterは生き残っていました.そこで,在学生Twitterユーザーの協力を得て,前年から広がりつつあったTwitterのネットワークを利用して大学からのお知らせを現地に届けようと考え,安否確認をおこなうことができました.現在の北里大学がSNSガイドラインで,積極的にSNSを利用する方針を明らかにしているのは,このできごとがあったからです.

●3年目・2011年度

前年度に入学センターによって,在学生による大学PRチーム「北里キャンパスナビゲーター」(キャンナビ) が発足していて,そのメンバーに「探検隊」で接点のあった学生が何人もいて,そこに引きずり込まれるかたちで,3月から正式な大学業務としてキャンナビのお手伝いをすることになりました.SNSアカウントを開設して運用したり,ブログの運用を考えたり,その他イロイロ頼まれたり引き受けたりして現在に至ります.オープンキャンパスや進学相談会の当日の様子をチェックし,運営で困ったときに解決策を一緒に考え,年度末は研修合宿に参加しています.

この年度からは,前期の「教養演習『大学生としての学び方』」を単独で担当することにしました.じぶんが学生時代に存在しなかった形式の科目をじぶんで設計して開講する,というのをやってみたかったからです.この科目は現在「大学基礎演習『理系スタイルのスタディ・スキル #リケスタ』」という名称で,前期火曜5限に開講しています.

●4年目・2012年度


海洋生命科学部1年d組のクラス主任(ようするに担任)になりました(1年間).とても愉快で楽しい人々がたくさんいて,いまもSNSでつながっているし,ときどき顔を見せにきてくれたりします.

春には,人生で初めての単著の書籍『はじめて学ぶ化学』(化学同人)が出版されました.2024年3月現在,第14冊増刷です.書籍の執筆には学術論文や特許明細を執筆するのとは違った種類の工夫と喜びがあります.この出版がきっかけとなって,その後も書籍を執筆して行くことになりました.

2012年度看護学部入学の学生が描いてくれた北里つながろうプロジェクトのロゴ

Twitterで学年・学部を超えたネットワークづくりを進めようと考えて,北里つながろうプロジェクト を始めたのはこの年度でした.これは現在まで続いています.2020年のコロナ禍初期,何もわからず孤立する危機にあった新入生に対して上級生有志がサポートする場にもなりました.

●5年目・2013年度

当時の一般教育部長に依頼されて原案をつくった SNSガイドライン が公開されました.ここには建学の精神の一つ「事を処してパイオニアたれ」に基づいて新しい技術を使っていこう,という考えが込められています.建学の精神に基づくSNSガイドラインは全国初です.これもあって,現在までに大学のSNS関連の仕事をイロイロやりました.


引き続き海洋生命科学部1年d組のクラス主任になりました.この年度も愉快で楽しい人々がたくさんいて,いまもSNSでつながっています.

実験実習用の教材提供 を始めたのはこの年からでした.これまでに国内外100箇所以上に無償提供してきました.提供先からのフィードバックは,私自身の担当する科目や講演などにとりいれています.

年度末の3月にはFD研修会で,各種オンラインサービスと電子機器の有効利用法についての指導法 について事例紹介しました.

●6年目・2014年度

4月,准教授になりました.職位が変わっても専任講師のときと何も変わりませんでした.


春先に理化学研究所で研究不正事件があり,実験ノートの不備が話題になりました.マスコミのみなさまが「実験ノートには何を記録するのか?」をみつけて連絡してきてTV番組に名前が出るっていう出来事がありました.これに関連して,朝日中学生ウィークリーの取材も受けました.こうしたできごとも,2017年の著書『誰も教えてくれなかった実験ノートの書き方』につながりました.

5月にアイドル・コピー・ダンスwinK♡@winK_kitasatoの初代リーダーと2代目リーダーが来てイロイロ話しあって,活動を応援して行くことにしました.6月の学外ステージを観に行くところから始めて,解散2023年3月ステージまでたくさんのステージを観に行きました.

2016年度入学メンバーが2020年春にサインを入れてくれたwinK♡のTシャツ

●7年目・2015年度


急に一般教育部が何かの理由で全開講科目の中でもっとも授業評価アンケートの評価結果が高い教員を表彰するっていうのをやって,私が選ばれました.毎回それなりに労力を注いで講義の準備をしているので,これは嬉しいできごとでした.

2011年から鉢植え彼岸花の観察写真をオンライン公開し続けてきたところ,植物図鑑に写真を提供してほしいとお願いされました.学研の「新版ふれあい しぜん図鑑 秋」に掲載されています.

SNSハッシュタグ #春から北里 を始めたのは,この年のことでした.



●8年目・2016年度

中学理科教科書づくりに協力しました.文科省検定中学理科教科書に実験記録の重要さを記した本邦初の例となりました.

「化学」(化学同人)から依頼されて,11月号に「コンピュータは科学者から何を奪ったか」を寄稿しました.これ以降,和文解説の執筆依頼の機会がやって来るようになりました.

●9年目・2017年度

2月に電気通信大学で 「初年次教育プログラムで扱う『実験実習科目の学び方』」 と題して招待講演をおこないました.「大学基礎演習『理系スタイルのスタディ・スキル #リケスタ』」でおこなっているとりくみを紹介しつつ,SNSと連携させた学び方のしくみづくりについても紹介しました.これ以降,さまざまなテーマで講演をお願いされるようになりました.

6月に『誰も教えてくれなかった実験ノートの書き方』(化学同人)が刊行されました.2024年3月現在,第11冊増刷です.

12月に,キャンナビ卒業生カップルの結婚式に行ってきました.

●10年目・2018年度

いろいろな講演やセミナーをおこなった1年間でした.3月,神奈川県立平塚江南高校で 「探求活動にあたっての研究記録の大切さ」と題して出張講義をおこないました.11月には順天中学校・高等学校で「伝わるプレゼンテーション: スライドショー準備のポイント」と題して出張講義をおこないました.12月には「今さら聞けない!実験ノートの取り方と重要なポイント」と題してセミナーをおこないました.現在に至るまで,さまざまなテーマでセミナーや出張講義をおこなっています.

●11年目・2019年度

この頃から講義履修者の学習到達度差の大きさをどうになしなければならない状況となり,90分の講義だけで完結させる方法が限界に達していました.それで,反転授業に切り換えることを計画しました.最終的には動画を含むオンライン学習で完結するしくみにすることを目指し,その1年目として,講義時間におこなってきたものごとのうち,自宅学習に追い出せるものを追い出して行くことにしました.このとりくみについて,FD研修で事例報告しました.前年度にはFD通信で事例紹介しました.


理科教育ニュースにキウイ果実がもつタンパク質分解酵素の記事が掲載されました.2006年の夏に長女と一緒におこなった自由研究を2017年にTwitterで公開したらバズって,そこから監修依頼が来たのでした.

2020年2月,北里つながろうプロジェクト発足時の重要メンバーうさちゃんまん結婚式2次会に行ってきました.

●12年目・2020年度


2020年度が始まったとき,キャンパスは感染症対策でロックダウンされていました.入学式は中止となり,新入生オリエンテーションも延期となり,前期授業開始も連休明けになりました.

獣医学科1年c組のクラス主任を担当しましたが,「集う」ことを最大限に避けなければならなかったため,入学記念集合写真撮影もなく,講義室に全員集合してのガイダンスも終了後に交流せずに直ちに帰宅指示を出さなければならない状況でした.


この年度は担当科目のオンライン化に明け暮れていました.

化学の講義は講義ビデオをつくりました.前年度から数年計画で取り組んでいた反転授業への転換が1年間で完了しました.後期から対面授業に戻すかオンライン授業継続かを科目ごとに決めることになったので,履修者にアンケートをとってみたところ,圧倒的多数がオンライン講義継続を希望しました.それで,最終回までオンライン講義をおこなうことにしました.ただし,一度も講義をおこなわないのも寂しいし,対面講義を希望した学生もいなかったわけではないので,後期初回と最終回の2回はオンライン講義と同じ内容の講義を講義室でおこないました.これは自由参加にしました.年度末にはFD研修でオンライン講義の事例紹介をおこないました.

化学要習は複数名で異なる時間帯の開講となっているので,動画化は見送り,これまで使ってきたスライドを編集して配付することになりました.ただし,コロナ禍が終わった後に備えて動画化の準備は開始しました.


化学実験はビデオカメラと三脚を実験室に持っていって,実験操作を撮影して動画教材をつくりました.6テーマのうち4テーマは後期から実験室での通常の実験実習に戻りましたが,2テーマは感染症対策でオンライン化しておくことになりました.オンライン実験は質問に対してリアルタイムのチャットで対応する必要があります.化学の専任教員7名で業務分担を変え,化学実験のある日,私は出勤せずに自宅から全回のリアルタイムのチャットを担当しつつ,実験レポートの添削をおこなうことになりました.このスタイルは2023年度まで続きました.

大学基礎演習は開講時期を前期から後期に移して,対面でおこないました.

●13年目・2021年度

2021年度も獣医学科1年c組のクラス主任を担当しましたが,前年度と同様に交流の機会をもつことができませんでした.

化学の講義は対面講義に戻りましたが,感染症対策により,講義時間を短縮しておこないました.すでにオンラインで学ぶ環境が完成していたので,時間短縮の影響はありませんでした.

化学実験は引き続き感染症対策のために前年度後半と同じく,一部をオンラインでおこなうことになりました.

化学要習は対面授業に戻りましたが,自宅学習の環境を整えるために動画教材を作ることになりました.この教材制作は,私が担当することになりました.これに合わせて化学要習のテキスト改訂も進める必要が生じ,その作業も開始しました.

オンライン教材を制作するための場所も設備も大学で確保できなかったので,担当科目,会議,その他の大学に来ないとできない業務がある日は大学に来て,それ以外の日は自宅で作業を進める日々でした.このスタイルは2023年度まで続きました.

●14年目・2022年度

さまざまな学生団体の活動が,コロナ禍によって強制中断させられたまま2年経過しました.2019年までのものごとを記憶している学生は,4年生になりました.過去の経験の蓄積を継承することができず,活動が難しくなった団体もありました.

キャンナビもこの問題を抱えて2022年度を迎えました.2年間にわたって来場型のオープンキャンパスや進学相談会がおこなわれなかったため,2022年度の各種イベントをおこなうために学生スタッフを集めても,経験者がほとんどいないという状況です.そもそもキャンナビが継続できるのか,という状況で4月を迎えました.

2022年4月,新メンバーを中心に2年ぶりに開催されたキャンナビのミーティング

しかし,コロナ禍にあっても新メンバーは加入しており,その中から4名がキャンナビの幹部を引き受けてくれました.再起動したキャンナビは,6月のミニオープンキャンパスに始まり,1年間のイベントを無事に完了させることができました.

担当科目と開講形式は前年度と同じでした.やはり感染症対策で化学実験の一部はオンライン化したままとし,私がチャットを担当しつつ,レポート添削を担当しました.

●15年目・2023年度

2020年度から始まった私のリモートワーク主体の生活の最終年となりました.自宅で集中して作業に取り組めたので,化学要習テキストの全面改訂,化学実験テキストの大規模改訂,化学要習動画の更新が完了しました.

コロナ禍では書籍の執筆も進めていました.その一冊として,単著での3冊目の書籍『医療・看護系のためのやさしく学べる化学』(裳華房)が11月に発行されました.

2024年度からは感染症対策が大幅に緩和されることになりました.化学実験全6回は化学実験室での通常の実験実習に戻ることになりました.3月終わり,2019年度に片付けたままの道具を引っ張り出すところから化学実験の準備を始めました.

L1号館5階の化学実習室

●おまけ・2020年に生まれた孫について

コロナ禍の2020年9月に長女が男の子を出産しました.出産予定日より4ヶ月早い出産で,生まれてきたときの体重は564 gでした(超低出生体重児).一昔前だったら絶望的な状況ですが,2020年のすばらしい医療環境のおかげで無事に成長し,いまは元気な3才の男の子になっています(ちょっと小柄だけど).長女と孫がお世話になった医療スタッフのみなさまに感謝します.

長女が子供の頃に遊んだブランコで遊ぶ孫(3才半)

北里大学に赴任してから9年間,看護学部の選択科目化学を担当していました.

2012年度看護学部2年生のみなさま

また,キャンナビとかwinK♡とかに看護学部の学生がいました.その中には,卒業後に大学病院に就職した人々もいて,キャンパス内でばったり会ったり,私のいるL1号館5階まで会いに来てくれたり,SNSでやりとりが続いていたりして,医療現場の状況を教えてくれています(もちろん部外者にしゃべっても問題ない内容).

新生児集中治療室(NICU)に配属になった卒業生も何人か知っていて,「体重500 gくらいの赤ちゃんでも助かる」というようなことを教えてくれたことがあります.そのときには「世の中には500 gで始まる人生もあるのだろう」などと他人事だったのですが,なんとじぶんの孫が564 gで生まれてきました.

出産直後に私に電話をかけてきた長女は本格的に混乱しており,私もどうしたら良いものかと困ったのですが,NICU勤務の卒業生から聞いていた「体重500 gくらいの赤ちゃんでも助かる」という話を思い出し,「大丈夫だ! 564 gでも大丈夫だ! NICUで働いている卒業生がいて,500 gくらいで生まれて来た赤ちゃんでも無事に退院するって言っていた! 医療スタッフの言う通りにしていれば大丈夫だ!」と伝えることができました.

これはこのときの長女にとって相当説得力のある言葉だったらしく,絶望的な状況から救われたと言っています.もしも私が医療とは全く関係のない他の大学で働いていたら,こういう言葉で長女を励ますことはできなかったし,564 gと聞いて私も絶望的な状況に陥ったことでしょう.NICUとか聞いたこともなかっただろうし.長女は私が北里大学の教員をしていて本当に良かったと言っているし,私もそう思っています.

これは,北里大学で働いていて良かったと思える出来事の一つです.2008年冬,北里大学化学教員公募情報を見たときには全く想像もできなかった未来にやってきました.

15年間を楽しい毎日にしてくれた卒業生・在学生のみなさま,いっしょに仕事した教職員のみなさま,その他リアル and/or オンラインでお世話になったみなさまにお礼申しあげます.

4月からも引き続きよろしくお願いします☆

●このつづき

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●10年前に書いた記事

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