2009年4月1日に任期5年の専任講師として採用された私,本日2014年3月31日(月)をもって任期満了となりました*1.とてもステキな5年間でした.北里大学教職員のみなさま,学生のみなさまに,お礼申しあげます.
↑ 5年間で学生からもらったアレコレとか,一緒に出かけたときのアレコレとか,作ってもらったアレコレとか,イロイロ.ステキな5年間でした.
「今,最善を尽くそう,自分は来年,ここにいないかもしれないのだから」
任期制専任教員として採用された私は,5年間にわたって「今,最善を尽くそう.来年はここにいないかもしれないのだから」と考えて,研究とか教育とか大学運営とかその他のアレコレに取り組んで来ました.その結果として,エキサイティングな日々が今日まで続きました.
どんな風にエキサイティングだったのかっていうと,あみだくじのように選択肢が複数個あって,出口も複数個あるんだけど,どれがどれにつながってるのかはわからない,という仕組みになっているあたりです.5年間,イロイロなことに最善を尽くしてきた結果,意外なところで意外な組み合わせが生じて,意外な形に発展する,ということが何度もありました.
特に,いわゆる「ネット」と「リアル」の融合を積極的に進めてきたことと,「すべてをオープンにする」方針*2で仕事を進めて来たことが,予想していなかった形でアレコレを大きく発展させてくれました.
(1) この5年間は学生と一緒にアレコレとチャレンジした日々でした
2010年度水曜1限106化学探検隊
「便利な連絡手段」とか「オープンな質疑応答手段」としてTwitterの利用を学生に勧めていたところ,日常会話的なアレコレをやりとりすることの方が多くなってきて,Twitterを介したネットワークが広がって,みんなで集まってどこかに行こうとか,何かをやろうっていう流れが始まったのが,2010年度のことでした*3.
この夏に医療工学科1年生4名といっしょにJAXA相模原キャンパス(宇宙科学研究所)一般公開*4に行って以来,Twitterで有志を募って学外に出かけて行くイベントが何度か続きました.
● 「2010年度水曜1限106化学探検隊」
↑ (左)JAXA相模原キャンパスに行った日に食べたもんじゃ焼き,(右)シーパラに行った日のお昼.
↑ (左)学内BBQ場でヤキイモ大会の第1回目,(右)江ノ島.
↑ (左)科学博物館の宇宙博,(右)下北沢散策.
↑ 活動は2012年度になっても続いていて,科学博物館「元素のふしぎ」展.
この人々とのことは以下のリンク先に書いておきました.
● 平成25年度北里大学学位記授与式に参列してきました(2014-03-26)
懇和会
2010年度には懇和会*5を開催し始めて,この年は化学実験で知り合った獣医学部生物環境科学科の女子グループ7名が参加しました*6.1回目は横浜,2回目は江ノ島,3回目は新宿.「みる+たべる」のセットでイベントを企画するスタイルが確立して現在に至ります.
↑ 2011年度.1回目がお台場,2回目が池袋.看護学部のAさんが仲間を集めて仕切ってくれました.
↑ 2012年度.1回目が多摩動物公園,2回目がしながわ水族館,3回目がズーラシア.動物資源科学科のTさんとOさんが積極的にアレコレしてくれました.
↑ 2013年度.1回目が池袋,2回目がシーパラ.臨床工学専攻,海洋生命科学科,獣医学科と,幅広い参加者がありました.
キャンナビ
↑ 2011年度メンバー.私のモノゴトの考え方に大きな影響を与えてくれた人々.
↑ 2012年度メンバー.私の誕生日にサプライズのバースデーケーキを用意してくれました.
↑ 2013年度メンバー.人数が増えて賑やかになりました.
翌2011年度には,在学生広報チーム「北里キャンパスナビゲーター」(キャンナビ)の活動に引きずり込まれました.詳しい経緯は以下のリンク先参照.
● キャンナビに参加したのは今日から3年前のことでした(2014-03-10)
キャンナビには,Web,ブログ,SNSを組み合わせたメディア戦略を学生といっしょに展開するために参加し始めたのですが,プレゼンテーションとかコミュニケーションとかもサポートするようになり,大学公式ムービー制作にも関わるようになりました.
こうしたアレコレは,「大学基礎演習B『大学生としての学び方』」の演習内容更新にもつながりました.また,大学の公式SNSアカウント開設とか,SNSガイドライン制定とか,新任教職員向けSNS講座担当とかのアレコレにもつながりました.
● 北里大学のSNSガイドラインを制定しました(2013-03-03)
● 学生によるインターネットでのトラブルを防ぐために(2012-08-30)
● 各種オンラインサービスと電子機器の有効利用法についての指導法 (2014-03-11)
海洋生命科学部1年D組
2012年度からは2年間にわたって,海洋生命科学部1年D組のクラス主任*7を担当しました.
人生初の担任業務だったのですが,それまでにたくさんの学生と一緒にアレコレやってきた経験が役に立って,順調にクラス運営を進めることができました.
2012年度も2013年度も,クラス委員の立候補を募ったらすぐに決まり,クラス運営には核となってくれるメンバーがあらわれ,何かあるとSNS経由で報告してくれる,という調子で,良いメンバーに恵まれました.幸運な担任生活でした.
● 2012年度海洋生命1年D組みんな揃って進級プロジェクト成功! #mbd2012 (2013-03-03)
● 2013年度海洋生命科学部1年D組のみなさまお元気で(2013-03-31)
(2)リアルとネットの融合した日々になりました
教養演習B『大学生としての学び方』*8
2010年度前期,すでに「教養演習B『大学生としての学び方』」を担当されていた3人の先生から,「実験実習科目への取り組み方」の回を担当して欲しいと頼まれて,この科目に関わるようになりました.
どの学部の学生でも講義室で安全に手軽にできるモデル実験を考えようと思って,「サインペンのペーパークロマトグラフィー」を考え,予備実験の様子をTwitter中継してみたところ,Togetterにまとめてくれる人*9が出て,これが全国的に注目されるようになりました*10.
● @TakahikoNojimaさんの手段が目的化したペーパークロマト予備実験集
「教養演習B『大学生としての学び方』」は翌年から別の時間に独立して私一人で担当することにしました.目指したのは「役に立つ科目」です.
「大学の勉強なんて何の役にも立たない」と主張する連中に,「そんなことはない.北里大学の木曜2限をみてこい」と反論しきれる科目を,2011年度前期につくるから見ていろベイベ.
— 野島高彦 Takahiko NOJIMA (@TakahikoNojima) 2011, 1月 8
実験実習科目とりくみ講座
ここで指導している「実験ノートの取り方」と「実験レポートの書き方」をブログで公開してきたところ,両者ともに,全国の中学・高校・大学・大学院の教員・研究員・学生から,指導・勉強・研究の役に立っている,とのコメントを頂くようになりました.SNS経由で情報が広まっているのです.
● 実験ノートには何を記録するのか?
● 実験レポートの書き方
SNSで知り合いになった全国の教育関係者には,解説スライドを提供してきました.社会貢献の一種と考えてます.これについては2014年度以降,新しい展開がありそうです.
北里つながろうプロジェクト
↑ 看護学部のWさんが描いてくれたロゴ.
入学式前の高校3年生とTwitter相互フォロー関係になって,ガイダンス期間とか講義初回とか実験初回とかに「再会」する,という順番での出会いが始まったのが2011年度でした.「先にTwitterで知り合いになって,それから実際に会う」という順番.
この流れが加速したのは,Twitterを介して北里大学のみんながユルくつながる「北里つながろうプロジェクト」を始めてからでした.
● 北里つながろうプロジェクト
● 北里つながろうプロジェクトがこうなるまでのアレコレ
↑ 北里つながろうプロジェクト2013年度運営チーム
2013年3月,「北里つながろうプロジェクト」に参加していた学生が集まって「運営チーム」が発足しました.発足したのを後から私が知るという状況でした*11.
↑ バーベキューやったり,ピクニックやったり
↑ ハロウィンやったり,ヤキイモ+豚汁やったり.
「北里つながろうプロジェクト」は2014年3月の時点で,新入生が大学生活を順調にスタートさせるためのインフラとして有効利用されています.もちろん,在学生どうしのネットワーク形成にも貢献しています.
Twitter相互フォローの人数は年々増えていて,2012年度入学の世代では11人に一人,2013年度入学の世代では約5.7人に1人の割合となりました.
(3) 化学の教科書を出版することができました
子供の頃から「いつかは本を出版してみたいものだ」なんて考えていました.それが実現しました.
赴任初年度から講義内容をすべてブログで公開し,配布物のPDFもダウンロードできる状態にしておきました.
● 野島高彦担当科目の配布物・試験問題・授業評価の結果
これらの更新情報は逐一Twitterで告知.こうした取り組みを続けていたところ,化学系の出版社から化学教科書執筆のお誘いを頂きました*12.
喜んでお引き受けしたのが2010年度の途中,約1年間で執筆して,2012年4月に人生最初の単著での著書となる「はじめて学ぶ化学」が出版されました.これが2012年度以降の私の化学講義で使っている教科書です.
● 大学1年生の化学で使う教科書として書いた「はじめて学ぶ化学」が発売されました.(2012-04-22)
「はじめて学ぶ化学」は北里大学以外の国立・公立・私立の大学・短大・専門学校でも,主に医療系コース1年生向けの化学教科書として採択していただき,現在までに増刷を重ねています.採択して下さった教員の方からはメールやSNS経由でコメントやアドバイスを頂くことがあり,それが増刷時の修正につながるだけでなく,講義内容の改善にもつながっています*13.ありがとうございます.
(4) 化学研究がそれなりに評価されるようになりました
こんな調子で毎日を過ごしてきたわけですが,化学研究の方も進行していて,海外の著名な研究者の著書で紹介して頂いたり,文科省から科学研究費補助金の交付対象として選定されるなどの幸運に恵まれています.
● 英国王立化学会の化学専門書で研究が紹介されました
科研費基盤Cキターーーーーー(゜∀゜)−−−−−−−−−− !!!!!
— 野島高彦 Takahiko NOJIMA (@TakahikoNojima) 2011, 5月 10
(5) 私自身の考え方が変化しました
「なぜ化学を学ぶのか?」という問いに対して,赴任当時は「自然界を物質の視点で理解することが生命現象の理解にも医療技術の習得にも重要でどうのこうの」ってことを考えていたのですが,これがだんだん変わってきて,現時点では「ハッピーになるため」って考えています.
● 大学で学ぶことは人生をハッピーに送るための一つの通り道 (2013-04-08)
「ものごとの判断基準をどこに置くのか?」という問いに対しては「未来の社会を建設することに貢献できるか?」という明確なビジョンができました.
● 未来の社会を建設するために
どちらも,北里大学で出会ったたくさんの学生と過ごした時間の中から導き出されてきた結論です.私が彼らに与えることのできたものごとよりも,私自身が彼らから与えられたものごとの方が圧倒的に多いのは間違いありません.感謝しています.
● 学生から学ぶこと
「適当にアレしといてくれ」としか言わない私の考えてくれているモノゴトを理解してくれて,いつも私が想定している以上のレベルまで持って行ってくれる,私のまわりのたくさんの人々に感謝いたします.愛しているぜ☆
— 野島高彦 Takahiko NOJIMA (@TakahikoNojima) 2013, 4月 18
そして明日から始まる2014年度
明日から任期5年の北里大学准教授としての日々が始まります.引き続き北里大学を楽しくて面白い学びの場に変えるためにアレコレ挑戦していきます.私といっしょにアレコレやりたい人,welcome☆
いろいろなことをやっている今日この頃ですが、私の中ではみんな繋がっていて、糸を紡ぐように統合されていくんです。予定では。
— 野島高彦 Takahiko NOJIMA (@TakahikoNojima) 2010, 11月 19
*1:北里大学では2008年4月以降採用の専任教員全員に5年の任期を設けています.審査にパスすれば再度5年の任期更新.2008年4月以降に昇任した教員とか,自主的に終身雇用から任期制に契約変更した教員も全員こうなってます.
*2:守秘義務とかプライバシーとかの面でオープンにできないものごとは別です.
*3:2009年度にもTwitterを利用していたのですが,単にアカウントを持っていただけで,今のように積極利用していませんでした.
*4:探査機はやぶさが持ち帰ってきたサンプルをがココで分析されていたことから始まったハナシでした.
*5:教員と学生グループとで自由にイベントを企画する大学公式制度.
*6:このうちの数名とはTwitter and/or Facebookで現在までつながっています.
*7:ようするに担任.ドロップアウトしないようにしっかり指導するのが主業務.海洋生命科学部と獣医学部の1年生を,一般教育部の専任教員で担当しています.2014年度からは海洋生命科学部のクラス主任業務は海洋生命科学部で担当することになっています.
*8:2012年度からは科目名が「大学基礎演習B『大学生としての学び方』」に変わりました.
*9:まとめてくれた@_taka51とは,現在に至るまで会ったことはありません.同じ大学/学部/学科の出身なんだけどね.
*10:これまでに7,500を超えるアクセスがありました.
*11:私とリアルに面識があったのは3人,Twitterだけのつながりが4人,という状態でした.
*12:編集担当のKさん,今後もよろしくお願いします.
*13:一時期,講義資料としてつくったプリント類を整理してテキスト化し,電子書籍のフォーマットで出版しようと考えたことがありました.しかし,出版社を介さない出版では,読み手の立場に立った構成が困難だということに,実際に一冊の書物の著者となって初めて気付きました.