北里大学一般教育部FD委員会2017年12月発行「FD通信」から依頼されて寄稿した「授業紹介」文を公開します*1
私の授業「化学『メディカル指向のケミストリー #メディケム 』」
自然科学教育センター 化学単位 野島 高彦
本稿では,筆者が科目責任者として担当している「化学『メディカル指向のケミストリー #メディケム 』」(通年4単位)について紹介する.筆者は他に科目責任者として「大学基礎演習『理系スタイルのスタディ・スキル #リケスタ 』」(前期1単位)を,科目分担者として「化学実験」および「化学要習」を担当しているが,これらについては,本稿では扱わない.
1 誰に向けた科目なのか
「化学『メディカル思考のケミストリー #メディケム 』」(通年4単位)の対象は,水曜1限が医療衛生学部医療工学科臨床工学専攻(CE)(必修)と診療放射線技術科学専攻(RT)(選択)であり,金曜2限が看護学部看護学科(N)(選択)である.2017年度の履修者数および在籍学生数に占める履修割合は,CEが47名(100 %),RTが64名(89 %),Nが63名(47 %)である.副題の一部 #メディケム はSNSハッシュタグであり*3,ここまでが科目名としてシラバスに記載されている*4.基本的な構成は,CE+RT対象コースとN対象コースとで同一とし,ここに前者では工学的・技術的な内容を,後者では自然環境や衣食住と関連させた内容を付け加えている.
2 どのような講義なのか
2.1 医療を学ぶ履修者に向けた化学の講義
この科目は,学部卒業後に医療従事者になることを前提に北里大学に入学してきた1年生を対象とする化学の講義であり,化学を専攻しない学生を対象としたものである.したがって,化学系学科の1年生を対象とする標準的な一般化学の講義とは構成を変えてある.たとえば,高校化学の後半でも一部を学び,化学系学科なら必ず1年生のうちに習得することが求められる「有機化合物の命名法」は,一切扱わない*5.そのかわりに,産油国からタンカーで運ばれてきた石油資源が,薬品や医療材料に変わり,医療で用いられるまでの流れを考える時間を確保している.講義で化学反応の例としてとりあげる化合物にも,原則として医療や生命現象に関わる物質を選んでいる.
2.2 進級後や卒業後に役立つ化学の講義
有効数字の処理や単位換算などを,高校までにじゅうぶんに理解することなく入学して来る層がそれなりの厚みを占めており,前期中にこうした自然科学の基礎を学ぶ時間も確保している.これに加えて,医療工学科では,簡単な微分方程式の解法や,近似計算の考え方を学ぶ時間も確保している.これらの技術は,進級後に専門科目を学ぶときや,卒業後の技術的検討の場面で役に立つものだからである*6.
2.3 未来を考える化学の講義
化学を含む科学と技術の発展によって,人類が困難な問題を解決してきたことを学ぶことも,この科目の狙いの一つである.たとえば,空気中の窒素を材料に様々な窒素化合物を合成する技術を開発し,医薬品や医療材料に用いていること,薬効を示す天然物の姿を突き止め,それよりも優れた効果を示す合成医薬品を開発してきたことなどを例にとりあげ,今後も人類は科学と技術の発展によって様々な困難を解決していくし,その成果が医療にも応用されていくので,未来に対して前向きにとらえることが可能だ,という考え方ができる根拠としている.高校化学で学んだ内容であっても,それらが医療従事者としての将来に関わるものごととしては学んでいないので,将来の仕事や人生と,基礎的な化学の知識や考え方を結びつけていくことも,この科目の狙いとしている.
3. 講義のしくみ
3.1 予習して来る者を対象に講義をおこなう
この科目では,履修者が予習をして来ることを前提に講義を進めている.具体的な予習内容は,前回の講義終了時に説明するとともに,その際に配布する資料に記してある.主に,指定教科書の指定箇所や配布資料を読むこと,その範囲の例題に取り組むこと,理解できない場合には学習サポートセンター(ASC)で個別指導を受けて1週間以内に解決することである.化学要習の履修者に対しては,関連する章の復習を指示している.
配布物には,講義時間内での説明を省略する事項もすべて記してある.たとえば,略号の正式名称,複数の呼称が存在する用語などである*7.また,次回講義で扱うものごとの前提条件の詳細も記しておくことがある.さらに,時間制限や難易度の関係で全く扱わないものごとや,アウトラインの紹介にとどめるものごとも,その旨を記しておくことがある*8.
3.2 講義1回分の構成
講義90分間の構成を紹介する.時間配分はおおよそのものであり,回によって異なる.
3.2.1 冒頭の10分間
講義冒頭約10分間で前回の内容を復習し,前回回収した用紙の自由記入欄に記されていたすべての質問に回答している.また,この自由記入欄に記入されていた出席者からの全コメントをスクリーン投影し,さまざまな理解度,とらえ方,考え方,感じ方があることの見本としている*9.続いて,今回の講義内容に関連する医療技術,生命現象,身の回りの自然現象などを紹介している.これは今回の内容を学ぶ理由になっている.
3.2.2 中盤の60分間
講義中盤の約60分間では,黒板を用いた解説をおこなっている.計算問題の解法,数式の誘導,有機化学反応に伴う電子の動きの説明などは,学部1年生を対象とする場合には,黒板を使った説明が適していると考えているので,スライドショー形式には していない*10.
3.2.3 後半10分間
講義後半の10分間で,講義に関連する医療技術,生命現象,身の回りの自然現象などついてのスライドショーをおこなっている.これに続いて,次回予告と,具体的な復習内容および予習内容を説明している.
3.2.4 確認問題10分間
講義終了後,当日講義内容についての確認問題を配布している.確認問題に解答し終えた者から順に用紙を提出し,配布物を受け取り退室する.用紙には自由記入欄があり,ここに記されたものごとに対しては,3.2.1のとおりに対応している.
4 試験と成績評価
4.1 試験得点だけで成績を決める
この科目では,前期試験と後期試験の2回の試験得点だけで成績評価をおこなっている.合格ラインは2回の試験の平均点で60点を取ることである.試験は前期も後期も100点を超えて出題している.たとえば2016年度の場合,医療工学科で前期に120点,後期に160点の合計280点分を,看護学科で,前期に120点,後期に125点の合計245点分を出題した.このため,前期試験で満点を狙ってじゅうぶんに準備をすれば,前期のうちに通年成績で合格ラインに達することも可能となっている.また,前期試験が不調に終わった場合にも,後期試験で高得点を取り,高い最終成績評価を得ることが可能となっている*15.
4.2 試験の難易度
試験問題は,化学を専攻しない学部1年生に対しての基礎学力を問う基本問題の組み合わせで構成している.ほとんどが講義時間内におこなった演習問題の類題,教科書の例題・章末問題の類題,解法とともに配布し自宅学習するよう指示しておいた問題の類題である.例年,前期試験も後期試験も平均点は80点付近となっている.一般入試の理科で化学を選択して来た層にとっては,60点を獲得するのは簡単である.60点に満たない層の大半は,ほとんど勉強することなく試験を受けたか,あるいは化学も含めて種々の科目で勉強方法そのものが理解できていない層である.
4.3 試験情報の公開
試験前に「模擬問題および略解」を配布し,どの程度の問題をどのような形式で出題するのかを公表している.また,過去の全試験問題,解答,模擬問題をオンライン公開している.
4.4 再試験は行わない
こうした(至れり尽くせりな)しくみにしている代わりに,再試験はおこなわない.この科目の合否が卒業延期につながる可能性もあるため,履修者のほとんどが十分に試験対策を立て,その結果,試験の平均点が80点付近となっている.なお,配点のしくみや,再試験をおこなわないことは,初回ガイダンスの時点から説明している*16.
5 授業評価
講義が現在のスタイルに落ち着いたのは2012年度である*17.それ以降の授業評価アンケート(授業の振り返りシート)においては,「物事をみる視野が広がった」と「授業の関連分野に関する知的好奇心が高まった」の2項目において高い回答が集まり,平均回答数を上回っている.医療工学科ではこれに加えて「今後の学習のために必要な学力がついた」でも高い回答が集まり,平均回答数を上回っている.一方,「論述したり 表現する力がついた」に対する回答は,ほとんどの場合にゼロである*18.これらのことから,この科目における狙いと,メインターゲットとしている層とがうまく合っているものと考えている.
なお,筆者としては年度内の授業評価アンケートよりも,進級後や卒業後に講義内容が役立つことを期待している.上級生や卒業生からのフィードバックが返って来ることがあり,その際のやりとりも講義内容の改善に役立てている.また,この科目のどこがどのように役立つのかを上級生がSNSで説明してくれることもあり,これも講義内容の改善に役立っている*19.たとえば,放射性同位体の崩壊速度をあらわす微分方程式が,医療工学科専門科目の電子工学や情報工学でも用いられること,人工高分子化合物に関する知識が医療材料についての専門科目を学ぶ際に役立つこと,国家試験の過去問のなかに,講義時間内におこなった確認問題演習の類問が存在すること,などである.
6 講義に関連する取り組み
6.1 無遅刻無欠席チャレンジ
2014年度以降,講義初回に,希望者に対して,「1年後の自分自身に対して全30回の無遅刻無欠席を約束する勇気のある者は,誓いの言葉を紙に書いて提出せよ.この紙は講義最終回で返却する.この約束が守られているかどうかはチェックしないし,成績評価にも用いない.目標を達成する医療従事者になる第一歩として,自分自身への約束を守れるかどうかを試す機会である.」という試みをおこなっている.9割程度の学生が挑戦する年度もあるが,実際に自分自身への約束を守れる者はその1割未満である.これがきっかけで進級後も全科目の無遅刻無欠席に自主的に挑戦する者もいる.
6.2 学びたい者すべてに開かれた講義
この科目では,履修登録していない学生に対しても出席を認めている(いわゆるモグリ).そのため,相模原キャンパスで学ぶ 様々な学部や学年の学部生や大学院生が出席しに来る.進級後の履修科目で休講になったためと言ってやって来る元履修者もいる.そうした出席者からフィードバックが得られることもあり,講義内容改善に役立っている.
7 何のためにやっているのか・誰のためにやっているのか
正直に述べると,筆者はこの科目を筆者自身の勉強のためにおこなっている面がある.大学入学から大学院博士課程修了まで化学を学び,それ以降も化学に関係する研究職を続けてきたものの,化学というものについて もっとも真剣に考え,自分自身の無知をもっとも自覚したのは,北里大学に赴任してこの科目を担当してからである.
8 今後の課題
今後の課題は,90分間の講義時間におこなわなくても構わないものごとを講義時間外(自宅学習)に追い出していくことである.予習資料を読めばわかるものごとを予習課題として徹底的に自宅学習に追い出し,講義室で説明を受けることが効果的なものごとだけに90分間を用いるしくみに変えていくとりくみを,現在も続けている.
<寄稿文ここまで>
●追加情報
2017年度シラバス
科目名にSNSハッシュタグを付けたときの記録
SNS上でのネットワークづくり
無遅刻無欠席チャレンジ
これまでの授業評価の結果
自宅学習に追い出すこころみ
●このブログを書いている人
●もう一つのブログ
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*1:学内で配布されたものは,ここに編集委員会からの軽微な校正が入っていますが,面倒なのでここではソレを反映させていません.
*2:http://www.fancyparts.com/fancyparts/cg/schoolkinder/science_1/science_1.html
*4:筆者の調べた範囲では,シラバスがオンライン公開されている講義科目の一部にSNSハッシュタグを組み込んだ人類最初の例である.
*5:有機化合物の命名法を理解しなければならないのは化学を専門とする一部の職業だけなので,化学を専門としない人生を選んだ学部1年生が,大学入学以降この習得に労力を割くのは時間の無駄であると筆者は考えている.
*6:電子工学,機械工学,放射線物理学,伝熱工学など,さまざまな場面で使い回しが効く.
*7:こうしたものごとの説明は「読めばわかる」ものであり本質ではないものなのだが,説明すると不必要に長い時間を取られるものである.こうしたものごとを限られた講義時間から追い出して行く方針で講義を進めている.
*8:授業評価アンケート「I. 授業と教員について」全10項目のうち,平均を下回る回答数となるのは「教員は、学生の理解度を確かめながら授業を進めた」だけである.予習して来ない者の理解度を考慮しないと明言していることと関係があると筆者は推定している.
*9:これを2009年度の途中から続けてきたが,試しに2016年度は質問に対してだけ対応するやり方にしてみた.その結果,前年度までと比べて質問も出なくなってしまった.また,出席者との間に急激に心理的ギャップが広がったようにも感じられた.2017年度,再び全コメント紹介に戻したところ,質問件数も元に戻った.手間はかかるが,「すべてを紹介する」が重要なのかもしれない.
*10:こうした解説が含まれない回では,すべてをスライドショー形式にしている場合もある.
*11:その結果,授業評価アンケートの「論述したり表現する力がついた」への回答は皆無となるが,そうなることも想定している.
*14:筆者の作成した資料は学内外に公開しており,他大学の医療系学部1年生対象化学系講義でも使用されている.
*15:問題用紙には,たとえば「5問を選んで解答用紙に解答せよ.いずれも20点の配点である.5問を超えて解答した場合,正答していれば通年成績評価の際に加算する.」と記して,1回の試験は100点満点という扱いにしている.
*16:化学を再履修となった卒業生の中には,「駄目なものを駄目と言われて初めて反省できた」,「落とされてよかった」,「国家試験に再試験はないことを意識する機会になった」とコメントしている者もいる.
*17:この年度から,指定教科書として筆者が執筆した『はじめて学ぶ化学』(化学同人)を用いている.後期前半までの講義のほとんどは,この教科書に従って進めている.
*18:この科目では試験に論述試験問題を出題しないことにしている.そのかわりに筆者の担当する「大学基礎演習 #リケスタ 」で扱っている.
*19:こういうこともあって筆者はSNS上でのネットワーク作りに取り組んでいる. http://bit.ly/2x4wAGE