Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・一般教育部・野島 高彦)

実験ノートは誰の所有物か?

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つなぽん さん @tunatuna_01 と実験ノートについてTwitterでやりとりがあって,コレは世の中でグレーゾーンになってるものごとの一つなので,ちょいと自分の場合にどうなってるのかココに書いておくことにしました.

なお,ココでの「実験ノート」は,卒業研究以降の実験研究で主に記録を残すために用いるノートのことです.実験科目で用いるものではありません

それから,以下で私が説明するものごとについては,当時の指導教員や,私の所属していた研究室の研究室主宰者が認めた・決めた方法ですが,所属機関としての考えは異なっていた,または現在は異なっている可能性もあります.これまでの所属機関から何らかの要請なり連絡なりががあれば,適正に対応します.

卒業研究(1990年度・中央大学理工学部)

卒業研究の実験ノートは学生が各自で購入していました.

何をどのように記載するのかについて,研究室としてキマリはありませんでした.

そのノートを卒業時にどうするのかもキマリはなく,置いて行く人もいれば,持ち帰る人もいました.

ただし,測定器から紙に直接出力されるスペクトルデータは全て提出していました.

実験ノートをコピーして,オリジナルは研究室に置いて行き,コピーを持って行くとか,その逆とかも可能でしたが,コピーは私費で支払う習慣となっていたこともあり,そこまでする人は(私の知る限り1人も)いませんでした.

私の場合,コピーはとらず,オリジナルは研究室の共用書架に置いて行きました.

この研究室は2013年3月に指導教授の定年退職によって解散となっており,紙媒体の資料も処分されています.

私の卒業研究のノートは,その10年くらいまえに研究室にお邪魔したとき,すでに行方不明になっていました.

学術的に重要なものごとは書かれていないはずなのですが,人生最初の研究ノートを再び見ることができない,というのは,ちょいと寂しいものです(半分 日記だったし).

修士論文研究(1991年度-1992年・中央大学大学院理工学研究科)

卒業研究と同じ研究室でさらに2年間を過ごしました.

実験ノートについての研究室としてのキマリに変更はありませんでしたが,修士課程(「博士課程前期課程」が正式名称なんだけど面倒だからこのページでは修士課程って書きます)修了時,私が立ち上げた実験系を後輩が発展させようとしていたり,私がおこなった実験の一部を投稿論文の一部として使う可能性があり,それに関連して連絡する際に,私の手元にもノートがあったほうが良いだろう,ということになり,指導教授と相談のうえ,全ページの白黒コピーを取り,そちらをバインダーに綴じ込んで指導教授に提出してきました.

また,実験ノート以外にも紙媒体の資料がイロイロあったので,整理して目録を作って提出してきました.

実験ノートのオリジナルの方は私が持っていましたが,修士課程修了から16年経過後,2008年度の終わりに,荷物整理の一環としてドキュメントスキャナでPDF化し,オリジナルは処分しました.

結局,数百ページのコピーを取ったにもかかわらず,ノート記載内容について問い合わせが来ることはありませんでした(私のノートのコピーのコピーをみて後輩が一部の実験を進めていましたが).

私の実験ノートに記されているものごとの中には,未発表のデータもありますが,今後それらをもとにした論文投稿や特許出願や学会発表の可能性はありません.

博士論文研究(1993年度-1995年度・東京大学大学院工学系研究科)

博士課程から大学を移り,研究分野を変えました.

博士課程から所属した研究室でも,実験ノートについてのキマリはありませんでした.実験ノートは各自が私費で購入していました.

博士課程終了時,実験ノートをどうするか,講座の先生がた一同に尋ねてみたのですが,「好きにしてよい」とのことだったので,オリジナルを持って行きました.

「何か ききたいことがあったら連絡するから対応してくれ」とは言われましたが,対応しなければならない状況は発生しませんでした.

ノートは私が持って行きましたが,2008年度の終わりにドキュメントスキャナでPDF化し,オリジナルは処分しました.

私が所属していた研究室は,研究室主宰者だった指導教授の定年退職に伴い,2004年3月に解散となっています.研究をご指導いただいた教授は2016年に亡くなっています.

私の実験ノートに記されているものごとの中には,未発表のデータもありますが,今後それらをもとにした論文投稿や特許出願や学会発表の可能性はありません.

理化学研究所(1996年4月-1998年9月)

博士課程を修了し,理化学研究所で基礎科学特別研究員に採用されたとき,配属先の研究室には実験ノートに関するキマリはありませんでした.

研究所内には消耗品の倉庫のような部屋があり,ここで扱われていたノートを,私は実験ノートに使っていました(ココからA4サイズを使い始めた).

2年半を過ごし,同じ敷地内の別の研究室に移ることになったとき,実験ノートに関して研究室主宰者および お世話になった先輩研究員に尋ねたところ,「好きにしてよい」+「何か ききたいことがあったら連絡するから対応してくれ」でした.

ノートは私が持って行きましたが,2008年度の終わりにドキュメントスキャナでPDF化し,オリジナルは処分しました.

私が所属していた研究室は,研究室主宰者の定年退職に伴い,2001年に解散となっています.

私の実験ノートに記されているものごとの中には,未発表のデータもありますが,今後それらをもとにした論文投稿や特許出願や学会発表の可能性はありません.

科学技術振興事業団(1998年10月-1999年12月)

博士研究員として2か所目の所属は,理化学研究所内で行われていた,科学技術振興事業団(いまの科学技術振興機構)の研究プロジェクトでした.

ハードカバーが付いた綴じ込み式の専用実験ノートが配布され,すべての研究記録はそこに記録すること,契約終了時に置いて行くこと,という規則がありました.ただし,具体的な記載方法についての指定はありませんでした.

新規採用研究者対象説明会でも「共通したノートがあったほうが便利という声があったのでノートを作った」とか「研究しやすいように使ってもらってかまわない」というような説明がありました.

このノートについては,規則に従ってオリジナルを研究室に置いてきました.

ただし,プロジェクトリーダーとチームリーダーの許可を得て,全ページの白黒コピーをとり,コレを持って行きました.

このコピーは2008年度の終わりに,荷物整理の一環としてドキュメントスキャナでPDF化し,紙媒体は処分しました.

私が所属した研究プロジェクトは2001年に解散となっています.プロジェクトリーダーは理化学研究所に所属,チームリーダーは海外のバイオ企業で研究中です.

早稲田大学(2000年1月-2002年3月)

2000年から早稲田大学で「客員講師(専任扱い)」という職に就いていました.実質,博士研究員.

私が所属した研究室は実験ノートについてのキマリはなく,過去のノートが保管されているわけでもありませんでした.

キャンパス内の生協で販売されていた5 mm罫線入りのノートを研究費で購入し,実験ノートに使っていました.

契約終了時,実験ノートに関しては「好きにしてよい」+「何か ききたいことがあったら連絡するから対応してくれ」だったので,ノートは私が持って行きましたが,2008年度の終わりに,荷物整理の一環としてドキュメントスキャナでPDF化し,オリジナルは処分しました.

私が所属していた研究室は,研究室主宰者の退職に伴い,2007年に解散となっています.私の実験ノートに記されているものごとの中には,未発表のデータもありますが,今後それらをもとにした論文投稿や特許出願や学会発表の可能性はありません.

九州大学(2002年4月-2006年4月)

2002年4月,九州大学大学院工学研究院で応用化学部門の助手に採用されました.

ここではホント毎日毎日何をやってるのかワケわかんない状況で,助手は雑務に忙殺されて自分で実験研究をやる時間などない,っていうのが標準状態で,私自身も在職した4年1か月の間に実験らしい実験をやったのは,院生に実験操作を教えた数回だけでした.

自分自身で実験をやっていなかったため,実験ノートはありませんでした.

私が所属した研究室には,実験ノートについてのキマリはありませんでした.研究グループごとに週に1度の研究進捗ミーティングを行っており,そこで生データを記したプリントを配布していたので,それが研究室に蓄積されて行く実験記録になっていました.

東京大学(2006年5月-2009年3月)

2006年5月から東京大学生産技術研究所に移り,助手→助教の2年11ヶ月を過ごしました.

ココではPDに戻ったような感じで自分で実験を進めつつ,研究室の雑務もやりつつ,研究室内や研究所内での共同研究も進める,という,たいへん楽しい日々を過ごしました.

私が所属した研究室は実験ノートについてのキマリはありませんでした.

キャンパス内の生協で販売されていた5 mm罫線入りのノートを研究費で購入し,実験ノートに使っていました.

退職時,実験ノートに関しては研究室主宰者から「好きにしてよい」+「何か ききたいことがあったら連絡するから対応してくれ」だったので,実験ノートは私が持って行きました.現在もオリジナルを手元に置いてあります.パンチで穴を開けてハードカバーのバインダーに綴じています.この記事の最初の写真がソレ.

ここに記載されている内容の中には,今後,私自身で追加実験を行って論文投稿や学会発表することになる可能性のあるものもあります.その際,私の実験ノートに記されているものごとに関しては,私の判断で取り扱ってよいという約束になっています.

北里大学に移った2009年4月以降も,私は東京大学生産技術研究所の「研究員」(無給)兼務という立場にしていただいているので(在籍した研究室に所属しているかたち),研究ノートを東京大学から北里大学に持ってきたことに関しては問題ナシって考えてます(厳密にどうなのか不明).

北里大学(2009年4月から現在)

2009年4月に北里大学に移ってきて,引き続き自分自身で実験研究やってます.

北里大学として専任教員の研究に用いる実験ノートにキマリが無く,じゃあ誰が決めるんだよっていうことになると,私の研究に関して最高責任者は私自身なので,私自身が決めたスタイルで進めています.

っていうわけで,実験ノートは東大時代に使ってたのと同じ製品を使っています.5 mm罫線ノート便利☆

実験のペースがアレなのでページがなかなか進まないのですが,コレが使いやすいので,使い切ったら東大の生協に行って買って来るつもり.

「実験ノートの実例」をオンライン公開することになったわけですが

今回の記事のテーマ「実験ノートは誰の所有物か?」を改めて考える機会が最近になって発生しました.

ブログで実験実習科目ネタをちょこちょこと公開して来たら,「実験ノートには何を記録するのか?」 っていう記事がGoogleキーワード検索「実験ノート」でWikipediaを除いてトップになったり,研究不正事件に関してTV取材依頼が来たり,イロイロあって,その流れで,実験ノートをテーマにした本を執筆する機会ができました.

誰も教えてくれなかった実験ノートの書き方 (研究を成功させるための秘訣)

誰も教えてくれなかった実験ノートの書き方 (研究を成功させるための秘訣)

「こう書かなければならない!」じゃなくて「こんな感じに書いておくと便利」とか「だいたい みんな こんな調子で書いている」を集めた,主に卒業研究の学生向けの本になるのですが,執筆が始まってから,編集担当者から「著者のノートを実例として使えないだろうか?」って尋ねられました.書籍の中で紹介するのではなく,オンライン公開する形で,ということでした.

正直なところコレにはちょいと困りました.

っていうのは,知的財産所有権の問題が生じる可能性があるからです.

いまの私の研究ノートには,アイデアとかチェックリストとか備忘録とか,ありとあらゆるものごとが書かれており,その多くが未発表なものなので,オープンにはできません.モザイク処理でもすれば良いのですが,ワケがわかんなくなります.

前職の東大時代のノートは,実際の工夫アレコレが書いてあるのですが,ここに書かれているものごとをオンライン公開して良いものなのか? 一抹の不安が残るわけです(無難なページは過去に新聞TVで公開したことがあるけど.).

って考えて行くと,職業として研究を始めた1996年4月以降のノートを「実例」としてオンライン公開するのは止めておくのが無難です.

編集担当者からは「卒業研究のノートがあるとよいのですが」とも言われたのですが,卒業研究のノートは数十行前に書いた事情により,ありません.あってもテキトーなメモ帳みたいなものだったし,参考になるようなものではないでしょう.

実験ノートをしっかり書こうと考えたのは修士課程に入ってからで,なんでかっていうと,イロイロなものごとを同時進行させるようになって,記録しておかないとワケわかんなくなちゃうっていうことに気付いたからです. #記憶より記録

博士課程の実験ノートが,たいへん見やすくアレコレと工夫して書いたものなので,「参考例」としては良さそうなものなのですが,当時の指導教授が亡くなっているので,ノートをオンライン公開する許可を得ることができません.

っていうわけで,結局,修士論文研究のノート(をスキャンしたファイル)数百ページをチェックして行って,その中の何ページかを「実例」として公開することになりました.

「参考になるページあるのかなー」って思いながら確認してみると,それなりに実例になりそうなページが見つかりました.

コレに関しては当時の指導教授に連絡して許可を得ました.何かあったら直ちに私自身で対応できるよう,私の管理するブログの中で公開して行くことになりました.

結局グレーゾーン

っていうわけで,「実験ノートは誰の所有物か?」に対しては,民間企業と大学とでは考え方が違うし,学生として研究を進めたのか,職業として研究を進めたのかによっても考えが違うだろうし,何を記載するのかもイロイロあるし,ラボ移動した後もそのテーマを継続するか継続しないかにもよるし,特許出願の可能性があるか無いかによっても変わるし,ようするに一概になんとも言えないグレーゾーンになってるっていうのが私の認識です.

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