『自分は研究者に向いていない? 〜研究者に必要な資質とは〜』っていうブログ記事を読んで思い出したことがあるのでココに書いておくことにします.
最初にお断りしておきますが,私自身は自分が「研究に向いている」かどうかわかんないし,大学院博士課程を修了して20年となる今ではそういうこと(向いているか・向いていないか)はどうでも良くなってしまっているし,いま大学でアレコレやってるものごとのうち「研究」に分類されるものごとの割合はせいぜい1割程度だし,っていうところです.
こういうことを教わった・その1
いわゆる「学会の大御所」と呼ばれる大先生*2からこういうことを教わったことがあります.10年以上前のことだけど:
「あなたも早く幸運の女神を振り返らせて彼女の微笑みを見なさい.それを見たことのある者だけが,大学教員になることを許される.
よく考え,よく試し,その結果,世界で初めての現象に出会ったとき,予期せぬ結果に出会ったとき,あなたは幸運の女神が振り向いて自分に微笑んでくれていることに気付くだろう.
その微笑みは美しい.しかし,それがわかるのは,幸運の女神を振り返らせ微笑ませることに成功した人だけだ.
幸運の女神は,努力したからといって振り向いてくれるわけではない.苦労したからといって微笑んでくれるわけではない.だからこそ,幸運の女神を振り返らせ,彼女の微笑みを見たことのある経験には価値がある.研究することの喜びとか価値,学問の意義といったものは,そういう人にしか伝えられない.
だから,どんなに努力しても,どんなに苦労しても,結局 幸運の女神の微笑みを見ることができなかった人物は,大学教員になってはいけない.あなただって,いま学生だったら,研究とか学問とかの指導は,幸運の女神の微笑みを見た経験を持つ人から受けたいと思うでしょう?
あなたが良く考え,最善を尽くして仕事をしていれば,あるとき幸運の女神が振り返って微笑んでくれるかもしれない.あなたが次の世代を育てて行く立場になったとき,幸運の女神を振り返らせ微笑ませた経験が,あなたの言葉に説得力を与え,あなたは良き指導者となることができる.そうやってサイエンスは発展して行く.
サイエンスを継承して行く大学教員に唯一求められる資質は,幸運の女神を振り返らせ微笑みを見た経験を持つことだけだ.
あなたにもそういう日が来ることを祈っていますよ.」
この先生は確かに ある分野で有名な研究成果を残された方だったので,この言葉にはたいへん説得力がありました.
そしてノンキな私は「ああ,まだ見たことのない幸運の女神の微笑みってのはどんなものなのかなー」程度でした.
超マジメな性格だったら「幸運の女神を微笑ませたことの無い私には大学教員になる資格がない!」なんて思い詰めて退職届けを書いたりするかもしれないけどね.
こういうことを教わった・その2
コレと似た話を,頭の回転が超高速な先輩*3から教わったことがあります:
「研究ってのはさ,恋愛と同じなんだよ.恋愛経験の無いやつが恋愛について語るのはナンセンスだろ? 気に入った女の子のハートを射止めて相思相愛になった経験が無いやつが恋愛がどうのこうのって言ったって,ハナシにならないだろ? それと同じなんだよ.
気に入った女の子がいてさ,その子を振り向かせたらラブアタック成功だよね? でも,どんなに心から愛しています大好きです世界でいちばん大切にしますI want you, I need you, I love you 君のためなら命も惜しくないとか言ってもさ,その子が振り向いてくれなかったらダメだよね?
研究も同じなんだよ.ナイスなアイデアを思いついて試してみたら上手く行ったとかさ,予想もしていなかった面白い現象を見つけたとかさ,一流ジャーナルに論文を載っけたとかさ,賞を獲ったとかさ,競争的研究資金をゲットしたとかさ,そういう成功に意味があるんだよ.
朝から晩まで一生懸命考えてます実験やってます先行事例研究やってます頑張ってますって言ってたってさ,成功しないことにはハナシにならないわけ.そんなの片想いの恋愛と同じわけ.
じゃ,どうやったら研究で成功するのかっていうと,『こうやったら誰でも成功します』なんていう方法は無いわけ.あったらみんなやってるよ.これも恋愛と同じだよ.絶対に彼女ができる方法なんて無いだろ? 実際,彼女いない歴20年とか30年とか言ってるやつがいるしさ.」
この先輩は研究も恋愛も調子よく行ってる人だったので,たいへん説得力がありました.
で,私は女神の微笑みを見たのかっていうと
さて,大学院博士課程を修了してこの春で20年になる私,これまでに女神の微笑みを見たことがあるのかっていうと,自然科学や技術の進展に大きなインパクトを与え人類のパラダイムを転換するような成果を(まだ)成し遂げたわけではないので,ここで大きな声で「幸運の女神様を振り向かせて微笑みを見たよ!」とは言いません.
じゃ,これまでに何も無かったのかっていうと,そういうわけでもありません.いま振り返ってみると,研究をやってきた途上で見た,小さな女神の可愛いスマイル,をいくつか思い出します.
それが具体的にいつのどの研究のどの場面だったのか,ここでは書きませんが,この人生で また見たいスマイルであることは確かです.
かわいいよ小さな女神のスマイル♡
毎日毎日大学でアレコレとやってる中,私が研究活動を止めないのは,小さな女神の可愛いスマイルをまた見たいって願っているからです.
私が歩き続けることを止めないのは,小さな女神の可愛いスマイルをまた見たいからです.
幸運の女神は研究の成功だけに微笑んでくれるわけではない
それと,幸運の女神が登場するのは必ずしも研究においてだけではありません.私がこの人生において熱心に取り組んでいる様々な活動において,様々な幸運の小さな女神が現れてはステキなスマイルを見せてくれました.
教科書執筆依頼が来たり,TVでちょこっと名前が出たり,大学から小さな賞状をもらったり,そんな感じで時々現れる小さな幸運の女神は,私のこの人生を楽しく豊かなものにしてくれています.
最近の私が思うのは,幸運の女神を振り向かせて微笑ませる方法を考えることよりも,自分にスマイルを送ってくれている小さな幸運の女神がすぐ近くにいることに気付くことの方が,研究からスタートしてアレコレと仕事の幅を広げて来たこの人生を幸せなものにするために必要だっていうことです.
「研究に向いている」と「職業としての『研究者』を続けて行くことができる」は別なんだな. / “自分は研究者に向いていない? 〜研究者に必要な資質とは〜 - つなぽんのブログ” https://t.co/qlBGuNPqcU
— 野島 高彦【化学】 (@TakahikoNojima) 2016年3月6日
「研究に向いてるかどうかがアレ」に関しては,会社に入って特許とかコンプライアンスとかセキュリティとか経営とかの仕事にシフトした知人は調子良く人生やってるけど,「研究人生死守!」みたいにして選択肢を蹴っちゃった知人はひどい目に遭い続けてるので,「変われること」は重要だって思うんだ.
— 野島 高彦【化学】 (@TakahikoNojima) 2016年3月6日