「教養演習『大学生としての学び方』」のための打ち合わせをしていたとき,担当教員が学生時代にとったノートを実際に学生に見せよう,ということになりました.しかし,4名の教員チームのなかで,学生時代のノートを現在まで保管していたのは私だけという状態でした.*1
4名のノートそれぞれを比較して見せたら面白かったのでしょうが,ないものはないのでしかたがありません.私のものを何点かスクリーンに投影して説明,ということになりました.その中の一冊には,ちょっとした思い出があります.
理系のノート
私は理工学部工業化学科というところに入学しました*2.ここでは一般教育「化学」の枠を使って化学熱力学の講義が行われていました*3. この科目では数式の証明問題を徹底的にトレーニングする必要がありました*4.そのために用意したノートが,これです.
さて,私の両親は化学とは全く縁のない文系学部の卒業でした(父は東洋史,母は国語国文学).そのため,両親からきいていた大学のイメージと実際に自分が入学した大学とのギャップに,入学当初の私は戸惑いました.
同時に,この違いは両親,特に私の父にとっては興味深いものだったらしく,あるときこんな会話を交わしたのを覚えています.
父「なんでも理系というのはタイヘンだそうじゃないか.ちゃんと勉強してるのか」
私「ああ,してるよ」
父「どれどれ,どんな感じなんだ」
私はそのとき近くにあったノートを一冊取って,父に渡しました.それがこの科目でした.
そのノートをめくったときの父の表情を今も私は覚えています.
父「!」
私「?」
父「こういうことは初めてだ.いったい何が書かれているのかさっぱり理解できない.これまでにもいろいろな書物を読んだし(文筆業だった父の読書量は超人的でした),専門ではない書物もいろいろと読んできた.もちろん,専門が違えばくわしい内容は理解できないものだが,少なくとも何が書かれているのかくらいは判断できた.ところがこれはどうしたことだろう.何について書かれているのか全くわからない,50年以上生きてきて,こんなのは初めての体験だ・・・」
この出来事は,まだ18か19だった私にとって,一種の親離れを経験する出来事でもありました.「タイヘンなことになったぞ.自分でなんとかしないとどうにもならない,なにしろ自分の親がお手上げと言っているのだから」ということを実感した出来事だったからです.*5
ほかのノート
(左)有機化学反応のまとめノート(1年生),(右)生化学のノート.板書を写したもの(2年生)
ノートをとっておこう
無事に単位をとった後もこれらのノートは捨てずにとっておきました.こうした,自分で書いたノートだとか,自分の書き込みがある専門書というものは,それらが直接何かの役に立つことはなくても,ときどきその紙面を見ることによって,忘れていた記憶がよみがえったり,それに引きずられて新しいアイデアが浮かんできたり,初心を思い出したりという効果をもつものでもあります.捨てずに済むのであれば取っておき,場所がなければ電子ファイル化してデータだけは持ち続けたいものです.
FUJITSU ScanSnap S1500 Acrobat X 標準添付 FI-S1500-A
- 出版社/メーカー: 富士通
- 発売日: 2011/10/22
- メディア: Personal Computers
- 購入: 22人 クリック: 295回
- この商品を含むブログ (57件) を見る
追記(2012-05-24)
この記事を書いてから2年が過ぎました.当時は4名で分担担当していた「大学生としての学び方」は,その翌年からは私ひとりで半期1コースを独立担当するようになり,今はその2年目です.
ノートやメモに限らず,物事を「記録」することの意義は,もちろん,演習で扱っている重要項目の一つです.