Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・野島 高彦)

ロング・アンド・ワインディング・ロード:幸運の女神に見捨てられなかった人生

履修者からの質問 #あるある になっている2点

  • 「なぜ化学を専攻することにしたのか?」
  • 「なぜ今の仕事をすることにしたのか?」

について,最初の質問については別ページで回答しました.
www.tnojima.net
このページは2つ目の質問に対する回答です.

「なぜ」というよりは「何がどうつながった結果どうなったのか」の記録になります.北里大学で働くことになるまでのロング・アンド・ワインディング・ロード.

大学生になった頃

1987年4月に中央大学理工学部工業化学科に入学しました.今は応用化学科になっています.
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大学生になってしばらくの間,私は卒業後の進路として化学メーカー勤務か高校理科教員を考えていました.教職課程を履修し,教育実習にも行きました.

卒業研究から大学院修士課程までの3年間

卒業研究ではMC先生の研究室に配属となり,「DNAと金属錯体との相互作用」に取り組みました.そしてそのまま,推薦入学で修士課程に進学しました(1991年4月)(正式名称は「大学院博士課程前期課程」なんだけど長いから修士課程って書きます).修士課程に進学したほうがイロイロな面で有利だ,と判断をしたからですが,「モラトリアム延長」も理由の中にあったことは認めます.

修士課程2年目になったころ,終了後の進路として,博士課程(大学院博士課程後期課程)進学を考えていました.そして,DNAとかタンパク質とかの生化学的な研究を体験してみたいと考え,イロイロ調べた結果(インターネットが普及していない時代),東京大学工学部工業化学科のKW教授(故人)の研究室をみつけ,話をききに行き,ここの博士課程を受験することにしました.合格したので博士課程から大学と研究分野を変えました.

大学院博士課程の3年間

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博士課程では「試験管内タンパク質合成系」を利用した研究に取り組みました.この手法は,細胞抽出液から得た成分を試験管内で再構成して,DNAやRNAにコードされた遺伝情報に基づいて生化学的にタンパク質を合成する,たいへん便利なものです.現在に至るまで,たびたび この手法を使っています.

博士課程3年目になった頃,指導教授から,

「理化学研究所 #理研 に,試験管内タンパク質合成系の研究を担当できる博士研究員(ポスドク)を探している研究室があって,適当な人物を紹介して欲しいと頼まれている.任期最大3年の基礎科学特別研究員という制度があって,それに応募して合格すれば受け入れてもらえる.応募してみたらどうかね?」

って言われたので,ダメモトで応募してみたらパスしました.

それで,1996年3月に博士課程を修了し,4月から理研に移って研究を進めることになりました.

最初のポスドク:理化学研究所の基礎科学特別研究員

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理研は最大3年任期の契約で,ここで基礎科学特別研究員として2年半を過ごしました(1996年4月から1998年9月まで).所属したのはIE主任研究員が主催する化学工学研究室でした(研究室主宰者の定年退職に伴い2001年3月解散).

まず,東大の生産技術研究所で海中ロボット工学の研究を進めてから理研の研究員になったTF博士(現 東大生研所長)と一緒のチームに加わり,マイクロ流体工学に試験管内タンパク質合成を組み合わせる研究プロジェクトを進めました.

その他にも所内でおこなわれていた面白そうな様々な技術開発にもちょこっと手を出してみたり,面白そうな実験をやっている研究室の人と知り合いになって実験を見学させてもらったり,体験させてもらったりという日々でした.

次のポスドク:科学技術振興事業団のプロジェクト研究員

理研の基礎科学特別研究員として2年半過ごした後,同じ敷地内でおこなわれていた科学技術振興事業団のプロジェクト研究(1996年10月から2001年9月の5年プロジェクト)の研究員になりました(1998年10月).ここでも試験管内タンパク質合成系を使った実験研究を担当していたのですが,チームリーダーのIH博士から,

「有機合成やってみない?」

っていう提案を受け,まず,有機合成化学を専門とする先輩研究員に実験技術を集中して教わり,途中から新規化合物の合成に取り組む,ということになりました.

しかし,有機合成の基礎技術が身に付いた頃にプロジェクトは方針変更になり,私は転出先を探すことになりました.

そうしたら,理研で知り合ったA博士(現 東大教授)がメールの転送の転送の転送を転送してくれて,そこに,早稲田大学のKM教授が,「化学を基礎にバイオサイエンスの新しい領域での研究に取り組む研究者」を募集している,っていうことが書かれていました.それでKM教授に連絡してみたところ,面接に呼ばれ,その場で

「明日から来てくれてもいい!!」

っていうことになりました.KM教授は私の修士課程までの指導教員MC教授と知り合いだったため,MC教授が推薦メールを送ってくださいました.

早稲田大学の客員教員

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早稲田大学には2000年1月から「客員研究員(専任扱い)」として,2000年4月から2002年3月までは「客員講師(専任扱い)」として所属していました.卒業論文や修士論文の指導をおこないつつ,私自身も実験を進めていました.講義も学生実験も担当しない仕事だったので,教員っていうよりは,ポスドクに近い状況でした.

KM教授の研究室で開発された蛍光色素(希土類を含む)をバイオサイエンスに応用する,というテーマで大型予算が交付されており,私以外にも何人もの客員教員やポスドクが雇用されていました.試験管内では優れた性能が出ることになっていた色素でも,実際に生化学反応系に入れるとイロイロと不都合が起き,研究は難航しました.

2002年になった頃,九州大学工学部のST助教授(現 九州工大教授)から,助手として働かないかとのお誘いを受けました.それで,2002年3月で早稲田大学との契約を終了し,九州大学に移りました.

ST助教授の研究チームと,私が早稲田大学で所属していた研究室とは共同研究をおこなっており,その関係でST助教授と知り合いでした.

九州大学の助手

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2002年4月から2006年4月までの4年1ヶ月,九州大学工学部で応用化学の助手をやりました.なんか制度が複雑になっていて,「応化分子教室」って呼ばれるところに所属しました.

九州大学に移った直後,大型研究予算の交付とソレへの対応があり,研究室の教授の定年退職と それに伴うイベントがあり,国立大学法人化があり,大学のキャンパス移転があり,っていうような調子で,いったい何をやってるのかワケわかんない毎日でした.膨大な量の事務書類を書かされたことは確かです.

九州大学に移って3年目に,専門領域が ぜんっぜん 異なる教授が他大学から研究室に着任して,それに続いてST助教授が他大学に栄転となり,博士課程在学中の院生もそちらに付いて行き(学籍を残したまま移動),研究室はいったん解散状態となりました.

こうしたものごとに伴うドタバタの後片付けをやってから,これまで論文にしていなかった論文を投稿したり,産学連携みたいなアレコレに応募してみたり,小規模の予算でも地道に進められる研究プランを立てたり,っていう日々を過ごしていたら,かつて理研で一緒に研究していたFT博士から,

「また一緒に研究をやらないか?」

って誘って頂いたので,東大に移ることにしました.FT博士はその頃,東京大学生産技術研究所で研究室の主宰者になっていました.

東京大学生産技術研究所

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2006年4月に九州大学を退職し,5月から東京大学生産技術研究所に移りました.所属先の研究室の分野は応用マイクロ流体工学で,技術開発のうえで化学的に解決しなければならないものごとも多く,その点ではイロイロと貢献する機会がありました.

移ったのが,新年度が始まって1ヶ月経過した時期だったので,卒業研究や大学院生の研究を指導を開始するタイミングが合わず,また,2年から3年で転出することが望ましい,という条件でのスタートだったので,イロイロ考えて久しぶりに自分で実験研究を進めることにしました.他には研究所内外との共同研究で化学や生化学系のものごとがあれば担当するとか,研究所内で共同研究したければ好きにせよとか,そんな感じで約3年間を過ごしました.

この約3年間は恐らく私の人生の中で,研究を中心にすることのできた最後の時期でした.自分で研究予算を獲得し,自分で実験を進め,自分で責任著者として論文を書き,自分で学会発表に出かけ,っていうスタイルで過ごしていました.

北里大学一般教育部

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2008年の暮れに,研究者公募サイトで北里大学一般教育部が化学の専任教員を募集中であることを知り,これに応募して,採用となりました.それで,2009年4月から専任講師として北里大学で働き始めました.途中,2014年からは准教授として働いています.

結果としてこうなった

っていうわけで,今の私がこうした仕事をしているのは,人生に訪れた偶発的なできごとの積み重ねの結果です.ここを目指して人生を送ってきたわけではありません.

こうした人生を私は,幸運の女神に見捨てられなかった人生だったと理解しています.なんだかんだで「次」に進むためのチャンスがやって来たし,そのほとんど全ては,私の才能とか努力とかによって獲得したものではなく,連続した幸運と,さまざまな人々の手助けによるものだったからです.

これから先をどうするのか?

これから先も偶発的なできごとがアレコレとやって来る人生になると予想しています.実際,2009年に北里大学に来てから現在までの間にイロイロなことをやってきましたが,それらのほとんどは私が戦略的に開始したものではありません.最善を尽くしていれば,引き続き幸運の女神に見捨てられることもないだろう,というような楽観的な考えで毎日を過ごしています.

リンク

北里大学ではこういうことをやっています.
www.tnojima.net

補足 and みなさまのおかげです

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  • 修士課程を修了したとき,専攻修了生総代に選んでいただきました(1993年3月).また,最後の半年間は首席として学費免除にしていただきました.修士課程から博士課程に進学する際に大学を移ることに対しては,修士課程の指導教員とトラブルを起こしたのではないか,などと疑われる場合もありますが,私の場合にはそのようなことはなく,修士課程の指導教授からは「そういうのも良いだろう」と理解していただきました.それから十数年後には中央大学の共同研究プロジェクトに誘っていただきました.招待講演に呼んで頂いたこともあります.また,実験ノートの書き方についてのガイドブックを出したときには,修士課程時代の実験ノートの一部をオンライン公開することについても許可をいただきました.
  • 博士課程の3年間,同じ研究室に同じ学年で所属していたKMくん(現 北大教授),TSくん(現 東大教授),KTくん(現 東大教授)からは,当時から現在に至るまで,本当にたくさんのアドバイスと励ましを頂きました.私が九州に移ることになったときには柏で送別会を開いてくれたり(TSくん),九州大学で研究室が解散状態になったときに修士課程の大学院生を博士課程から受け入れてくれたり(KMくんとKTくん),忘れないよ☆ これからもよろしくね!
  • 博士課程を3年で修了できたのは,指導教官のKW教授,実際の実験研究を指導して頂いたTU助教授(現 東大教授),IN助手をはじめ,先生がたのご指導のおかげです.
  • 博士課程で東大に進学して良かったものごとの中に,「学部から東大入試にパスした人々の頭脳は,PCに例えるならクロック周波数が私の3倍,システムは最適化されていて,HDDは常時デフラグ済み,ああいう人々と同じ競技で勝負するのは賢くない」っていうことを学んだっていうことが挙げられます.私の「スキマ需要を探して開拓しよう!」路線は,この時期から始まっています(たのしいよ☆).
  • 理研在職時にFT博士から学んだことはイロイロあるのですが,その一つに「Webで情報公開すること」があります.「WWWとかFTPとかhtmlとかの基本をマスターせよ!」って言われて,実際にどうやるのか見せてくれて,ソレをマネするところから私のオンライン上でのアレコレを試す人生が始まりました.北里大学で #キャンナビ Webチーム関係の業務を担当することになったのも,元を辿るとココになります. それからツイ廃も元をたどれば,
  • 科学技術振興事業団の研究員時代,有機合成の訓練をしてもらったことには感謝しています.いまの私がもっている有機化学の実験技術は,この時期に身に付けたものです.この後,早稲田大学で有機合成を専門にしている人々とディスカッションしたり,九州大学で有機合成に取り組む学生に実験指導したり,という場面で役に立ちました.いま担当している化学実験の「アセチルサリチル酸の合成」もだ!
  • 早稲田大学で働くことになったとき,「4年近く研究所で働いていたし,大学で学生と一緒に研究できるだろか?」っていう一抹の不安を抱いていたのですが,優秀でノリが良く理解のある学生と一緒に研究ができたので,「大学(・∀・)イイ!!」って実感することができました.この時期に一緒に研究していた学生(もう40才近くになってる)とは今も交流があります.北里大学にも遊びに来てくれました.
  • 九州大学在職時,ST助教授から「大学に所属する研究者として,どのように人生を切りひらいて行くか」というようなものごとを教わりました.このときに教わったものごとは現在も判断基準セットの中に入っています.
  • 九州大学の学生は,私が想像していたよりもソフトで純粋なタイプが多く,まじめで賢い集団でした.また,高度成長期の校舎で毎日を過ごしていたこともあり,平成ではなく昭和の時代で生活しているように感じていました.同じ研究室だった彼らの多くとは,現在も交流があります.北里大学の様子をみに来てくれた人もいるし.
  • 九州大学在職時,もうホント滅茶苦茶に雑用が多くて24時間では片付かないレベルだったので,各種業務のシステム化と効率化に本格的に取り組みました.この時期に考えた仕事の進め方で,現在も各種業務をやっつけています.このときに考えた物事の一部は大学初年次向けにアレンジして,前期木曜2限「大学基礎演習 #リケスタ 」に組み込んでいます.
  • 「大学教員公募では,すでに候補者がいて,形式だけ公募にしてある」説を唱える人々もいるようですが(そういうのもあるかもしれませんが),私が北里大学に採用されたときは完全に公募人事でした.応募先に知り合いはいなかったし,理学部のHI准教授とは知り合いでしたが,応募することは話していなかったし.

このブログを書いている人

www.tnojima.net

もう一つのブログ

www.takahikonojima.net

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