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Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・野島 高彦)

41才になった日

41歳になりました.出席カードの自由記入欄にお祝いの言葉を書いてくれた1年生のみなさん,どうもありがとうございました.

私は実年齢よりも若く見られることが多いようです.ここ数年は33才±1才あたりに見られているようです.1月ほど前,私が講義を担当しているコースの学生から年齢を尋ねられたので,1968年生まれで40才だと答えたところ,非常に驚かれました.しかし私としては驚かれることに驚かされています.

今月最初の講義の後,出席カードの自由記入欄に「先生のこと “のじー" って呼んでいいですか」と書いてきた学生がいたので,「好きにすればよろしい」と回答しました.

次の週にはこれが定着していました.

そうしたらこんどは,講義内容の質問にやってきた別の学生がノートを開いて「野爺」と書かれたページを見せ,私をこのように呼んでもいいかと尋ねてきました.今回もまた「好きにすればよろしい」と答えました.

ああ,「爺」と呼ばれる年齢になったんですねえ,やれやれ.

しかし,自分自身の身体が不可逆過程をたどっていることを感じているのは確かです.大学の食堂で出される高カロリーなランチを,学生や若手の同僚は平気な顔で食べているというのに,今の私にはもう無理です.しかし頭脳の方はまだまだイケルぞ,などと自分を信じていたある日の午後,また別の学生が実験科目のレポート課題で課されている計算問題を質問しにやってきました.

もうこれまでに何百回もやっているような計算なので余裕で説明を始めたのですが,最後の計算のところでやりかたがまったくわからなくなってしまいました.これには焦りました.運良く化学担当のS教授が近くを通りかかったので助けを求め,ピンチ脱出できたのですが,正直なところこれには参りました.午前中に黒板上にチョークを走らせながら微分方程式を解いていた人物が,1年生を前にして簡単な計算問題に手こずっている姿というのはまったくサマにならないものです.

身体と頭脳*1がちょっとピンチ,となれば残るは精神力です.四十不惑.40代といえば,古くから落ち着いて生きる年代ということになっています.しかし,平均寿命が長くなっている今,まだまだ落ち着くには早いのです.

「四十歳になったら,あれこれ迷ったりしないで,落ち着いて生きなさい」というのが『論語』にある孔子の教えではあるが,私は,現代社会でいう「不惑」は,サラリーマンで言えば定年を迎える六十歳くらいまでに,その境地に達することができれば十分ではないかと思う.

----- 清水克彦,「人生,勝負は40歳から!」,ソフトバンク新書,p8 (2007)

そういうわけで,揚げ物がダメになり,計算問題がときどき怪しくなってきた最近の私ですが,残るリソースは精神力ということで,これからもなんとか悪あがきを続けて行きます.

*1:今にして思えば,計算問題ができなかったのは昼にヘビーな揚げ物を食べたからに違いありません.