Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・一般教育部・野島 高彦)

講演会「研究活動におけるリスクマネジメント」

夕方から,佐藤 修 氏 (日本オプション取引研究所)による講演がありました.十和田キャンパスで獣医学部を対象として行われた講演で,相模原キャンパスへは映像と音声が配信されました.大学におけるリスクマネジメントを主題とする講演でしたが,大学に所属する教員としても,仕事の考え方において参考になるものが多数ありました.

リスクとは何か? リスク管理とは何か?

何かの事業を進めるにあたって「リスク」と「リスク管理」が意識されるようになったのは,アメリカ大陸横断鉄道建設のときでした.バッファローを追いかけて暮らしていたアメリカ先住民の暮らす土地にレールを敷くわけですから,いろいろなトラブルが予想されます.そうしたトラブルに出くわす「リスク」を想定したうえで,さまざまな対応を考えながら工事が進められて行きました.つまり,工事が「リスク管理」されながら進められていたわけです.
このように,何らかの「危険」が「リスク」であり,そこには「予想を大きく超える損失の可能性」が潜んでいます.そして,「発生し得るリスクに備えてさまざまな防止策や対応を立てること」が「リスク管理」です.
この「リスク管理」には定義がありません.何がその組織にとってリスクとなり,それに対してどのように対応して行くのかは,その組織が決めることだからです.

何がリスクの要因になるのか

組織にリスクをもたらす要因としては,内因性のものと外因性のものがあります.
たとえば製造業の場合,内因性のものとしては,生産拡大,事業拡大,もうけ過ぎ,新事業,人事異動,トップ交代,といったものがリスク要因になり得ます.また,外因性のものとしては,競争激化,ライバル出現,少子化,高齢化,政権交代,といったものがリスク要因になり得ます.
最近では,事業仕分け,政策転換,規制強化,規制緩和,といったものごとが外因性のリスク要因になったケースもあります.たとえば,仕分けによって科学技術にかかわる国家予算が大幅に削減されたかとおもったら,はやぶさの成功で予算が復活したり.

生きてること自体がリスク

こういう調子なので,何がリスクになるのか,可能性のあるものを挙げて行ったらキリがありません.「生きていること自体がリスク」というのが現状です.
ではどうすればよいのでしょうか?
現実的な解決策は,「『最大のリスク』に焦点をあててその対応を考える」ことです.

大学にとってのリスクとは

大学という組織にとっての最大のリスクは何でしょうか.それは「事件」や「事故」が発生して,「地域住民の批判」,「マスコミによる批判」,「志願者の減少」などが生じ,大学の「ブランド力」が低下することです.
「事件」や「事故」としては,研究中の事故,研究成果の盗作・盗用,といったものに加えて,本学のように医療系の学部をもつ場合には,誤診,手術ミス,医療過誤,患者からの訴え,といった可能性も考えなければなりません.
こうしたリスクの可能性に対応するためには,研究活動のプロセスと流れ全体を把握し,リスク要因を洗い出すことが必要です.文献検索,実験,成果発表,教育,治験などすべての活動の流れを把握することが必要になります.そして,「大学関係者(学生,患者,職員,研究者など)の利益を損なうリスクは何なのか」を考えることがリスク管理になります.

リスクを予想する

リスクとなり得る要素は早期に見つけ出し,対策を練る必要があります.その際に役立つのが,「ハインリッヒの法則」と呼ばれる経験則です(1931).これは「1つの大事故の前に29の小事故があり,その前に300のヒャ,ハッとする経験がある」というものです.大きな事故や事件の前にはかならず「予兆」があるのです.

どのようにリスクに対応するか

リスクのない事業というものが存在できない以上,私たちはリスクに対応しながらものごとを進めて行かざるを得ません.対応方法としては以下の4点が挙げられます.
(1)回避・・・・原因を取り除くこと.極端な例では事業所を閉鎖してしまえばリスクはなくなります.
(2)低減・・・・リスクの影響度を低くすること.たとえば問題が生じたときに,問題にかかわる担当者を変えれば影響を低く抑えることができるかもしれません.
(3)ヘッジ・・・・どちらに転んでも良いように,それぞれに対策を考えておくことです.リスクの分散です.
(4)受容・・・・リスクを受け入れる考え方です.たとえばリスクを避けるために必要なコストが,問題発生によって生じるコストよりもはるかに大きい場合には,リスクを受け入れた方が全体的には損失を減らせるというような場合があります.

リスクはマイナス面だけではない

「予想を大きく超える損失の可能性」という定義からは,リスクというものが,何としても避けなければならないやっかいなものであるという印象を持ちます.しかし,予想を大きく超えるできごとというものは,悪いことばかりではありません.予想を超えて良い結果をもたらす場合もあるからです.このような「プラスのリスク」の可能性も考えて,積極的にリスクを取りに行く戦略が,特に金融の方面では盛んになってきています.リスクと向き合って,組織が目的を遂行するためのチャンスと考えるのです.

リスク管理のポイント

リスク管理においては,情報の管理が中心になります.そして,マイナス面にだけとらわれず,マイナス面があればそれをプラスに転じる策を考える姿勢が大切です.さらに,「リスクは組織の目標を達成するツール」ととらえ,リスクを積極的に利用することによって,組織の目標到達を実現しようという考えも大切です.

講演から学んだこと

今回の講演は大学が組織レベルでリスクにどのように対応して行くか,という視点でまとめられたものでした.しかし,講演の中でも述べられたように,「生きていること自体がリスク」であるという考え方は,大学で教育と研究に携わる教員ひとりひとりにも当てはまる考え方です.
たとえば研究テーマの変更に際しては,それまでの経験がリセットされるというリスクを取ることになるわけですが,これは悪いことではないかもしれません.異なるフィールドでそれまでの経験を応用することができれば,新しい展開が訪れるかもしれません.
教育においても(ちょうど今2011年度のシラバスを書いているところなんですが),新しい切り口で講義を進めようと思うと,従来の考え方とは大幅に異なる講義計画を立てなければならず,それなりの負担も増えます.しかし,使い古された単元の組み合わせを捨てることによって,現代的な考え方を構築して行くことができるようになるかもしれません.
「一般的なリスク管理においては情報の管理が中心になる」という点も,これまで学外からはほとんどわからなかった大学の内情が,今では学外に丸見えになりつつあることをよくあらわしています.履修者の視点で問題がある講義*1はTwitterでただちに学外にばらまかれてしまいます.これは年に一度の授業アンケートや教員評価よりもシビアなものになる可能性があります.なにしろ講義の様子や教員の振る舞いが学外に中継されるわけですから.しかしこのリスクは一方で,自分自身が仕事に対して正しく向き合っていなければならないということを常に意識させてくれるものです.そのような意識は教育の改善に役立つものです.
そういうわけで,本日の講演は,プラス面もマイナス面も含めて,リスクと向き合って行くことが,良い仕事をして行くために効果的だと改めて認識する機会を与えてくれたものでした.

このブログを書いている人

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*1:その講義が問題あるとは限らず,出席者がそのように判断する場合