Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・一般教育部・野島 高彦)

有機化合物の構造と名前を覚えよう2016年度版

医療工学科および看護学科の2015年度後期化学講義で登場する有機化合物の構造と名称を紹介します.

化学講義第21回目以降で有機化学反応を説明するときには,原則としてここに出て来る化合物を引っ張り出します.

また,後期試験の有機化学関連問題を解く際に「名前と構造」がセットでわかっていなければならないものは,最大限,ここに挙げられている100個だけです.

有機化合物の正式名称や構造式の丸暗記に労力を注ぐことは,化学の本筋ではない.また,有機化合物の名称を見て構造式を正しく描く方法とか,構造式を見て国際ルールに従って厳密に名称を答える方法*1とかも,化学を専攻しない大学1年生が今から習得したところで,今後の人生において役に立つことはない*2


しかし,医療に携わる職業人として最低限知っておかないと困る有機化合物とか,それらを理解するために知っておかないと困る有機化合物というものもある.だから,以下の有機化合物100種類については,名称に基づいて構造を書いたり,構造式に基づいて名称を答えたりできるようにしておこう*3.後期試験範囲の一部でもある.

1 アルカン

1.1 炭素数1から8までの直鎖アルカン

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(1)メタン(2)エタン(3)プロパン(4)ブタンは常温で気体である.(5)ペンタン(6)ヘキサン(7)ヘプタン(8)オクタンは常温で液体である.これら8種類の有機化合物,およびそれらの構造異性体は,いずれも燃料として用いられている.カセット式コンロのボンベや,使い捨てライターの成分表示を見てみよう.

1.2 メタンの塩化物

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(1)メタンCH4を塩素Cl2と反応させると,(1)メタンCH4の水素原子が次々と塩素原子に置換され,(9)塩化メチル(クロロメタン)(10)塩化メチレン(ジクロロメタン)(11)クロロホルム(トリクロロメタン)(12)四塩化炭素(テトラクロロメタン)となる.(10)塩化メチレンと(11)クロロホルムは,いずれも有機溶媒として有機化学や生化学の実験に用いられる.

2 アルケン,アルキン,それらの付加重合で得られるポリマー

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(13)エチレン(エテン)を付加重合すると(14)ポリエチレン(PE)が得られる.(15)アセチレン(エチン)を付加重合すると,人類初の導電性ポリマーである(16)ポリアセチレンが得られる.(17)1,3-ブタジエン*4 は二重結合と単結合が交互に並ぶ共役二重結合構造をもつ.この化合物は合成ゴムの原料となる.
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(13)エチレンの水素原子を1個置換した(18)プロピレン(プロペン)(19)スチレン(20)塩化ビニル(21)アクリロニトリルは,付加重合により,それぞれ(22)ポリプロピレン(PP)(23)ポリスチレン(PS)(24)ポリ塩化ビニル(PVC)(25)ポリアクリロニトリル(PAN)となる.医療分野において(14)PEおよびこれらのポリマーは,輸液バッグ,薬品ボトル,送液チューブ,機器カバーなどに用いられている.


共重合体も医療現場で広く用いられている.病室のカーテンに用いられる難燃性繊維は,(20)塩化ビニルと(21)アクリロニトリルとを共重合させたものである.ストレッチャーのタイヤに用いられる合成ゴムは,(17)1,3-ブタジエンと(19)スチレンとを共重合させたものである*5
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(26)アクリル酸を付加重合して得られるポリアクリル酸のナトリウム塩である(27)ポリアクリル酸ナトリウムは吸水性に優れており,紙オムツに使用される.(28)メタクリル酸(MMA)を付加重合して得られる(29)ポリメタクリル酸(PMMA)は,ハードコンタクトレンズの主材料に用いられるほか,アクリル樹脂として水族館の水槽,医療機器の透明パネルなどに用いられる.


(30)酢酸ビニルを付加重合して得られる(31)ポリ酢酸ビニル(PVAC)は,水溶性木工ボンドの主成分である.(31)PVACを加水分解して得られる(32)ポリビニルアルコール(PVA)は,医薬品の包装材に用いられる*6.(32)PVAを(46)ホルムアルデヒドと反応させることによって,ロープやネットに用いられる化学繊維(33)ビニロンが得られる*7


(34)塩化ビニリデンを付加重合するとサランラップの主原料である(35)ポリ塩化ビニリデン(PVDC)が得られる*8(36)テトラフルオロエチレンを付加重合して得られる(37)ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)は,油も水もよくはじく性質をもつので,人工血管や送液チューブに用いられる.また,家庭ではフライパンの表面処理に用いられる*9

3 酸素原子を含む有機化合物

3.1 アルコール

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(38)メタノール(メチルアルコール)には毒性がある.飲むと失明し,死亡することがある.(39)エタノール(エチルアルコール)はアルコール飲料の主成分である.体積分率約70 %*10 のエタノール水溶液は,消毒薬として用いられる.(40)1-プロパノール(n-プロピルアルコール)(41)2-プロパノール(イソプロピルアルコール)は互いに構造異性体の関係にある.(41)2-プロパノールは(39)エタノールと同様,消毒剤として用いられる*11(42)t-ブチルアルコール(2-メチル-2-プロパノール)は最も単純な構造をもつ第三級アルコールである.


(43)エチレングリコールはラジエーターの不凍液に用いられる.人体に有害である.この物質を脱水縮合して得られる(44)ポリエチレングリコール(PEG)は人畜無害であり,細胞への遺伝子導入や化粧品の乳化剤として用いられる.(45)グリセリン(グリセロール)は医薬品の原料や保湿剤などに用いられる.

3.2 アルデヒド,ケトン,カルボン酸,エーテル

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(46)ホルムアルデヒドは人体に有害であり,シックハウス症候群の原因物質の一つである.これの体積分率37 %水溶液はホルマリンと呼ばれる.(46)ホルムアルデヒドを酸化すると(47)ギ酸になる.(39)エタノールが酸化されると(48)アセトアルデヒドになる.これは悪酔いの原因物質である.(48)アセトアルデヒドがさらに酸化されると(49)酢酸になる.これは食酢の主成分である.酢酸2分子が脱水縮合すると(50)無水酢酸*12が得られる.(51)アセトンは(70)フェノールを合成する際の副産物として得られる安価な溶剤であり,水と任意の割合で混合可能である.塗料の溶剤やマニキュア除光液に用いられる.
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(52)シュウ酸は2価のカルボン酸である.体内でカルシウム塩を形成すると,尿道結石の原因となる.(53)マレイン酸(54)フマル酸は互いにシス-トランス異性体*13の関係にある.(54)フマル酸は生化学のTCA回路に出てくる.
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酸素原子を挟むかたちで炭化水素基が結合した物質がエーテルである.(55)ジエチルエーテルは麻酔薬として用いられていた化合物である.単に「エーテル」と言った場合,ジエチルエーテルを指す場合が多い.(56)ジメチルエーテル(DME)には近年,燃料としての利用が期待されつつある.

3.2エステル

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(49)酢酸と(39)エタノールを脱水縮合すると(57)酢酸エチルが得られる.一般に「○○酸△△」という名称のエステルは,○○酸と△△アルコールが脱水縮合して生成されたものである*14.(57)酢酸エチルは(51)アセトンと同様,塗料の溶剤やマニキュア除光液に用いられる.エステルの多くにはフルーティな香りがする.(58)油脂は炭素数が16や18のカルボン酸とグリセリンとのエステルである.R1,R2,R3は同じ場合もあるし,異なる場合もある.(58)油脂は動物の脂肪細胞や,植物の種子から得られる.
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炭水化物を(59)乳酸に変える微生物が乳酸菌である.乳酸菌はヨーグルト,チーズ,バターなどの製造に用いられる.これらの食品は乳酸を多く含む.(59)乳酸を脱水縮合して得られる(60)ポリ乳酸(PLA)は,生分解性プラスチックの原料であり,(61)グリコール酸から合成される(62)ポリグリコール酸(PGA)と共に,抜糸の必要がない生分解性縫合糸として外科手術に利用されることがある.

5 ベンゼン環を含む化合物

5.1 一置換ベンゼン

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(63)ベンゼン(64)トルエン(65)エチルベンゼン(66a)o-キシレン(66b)m-キシレン(66c)p-キシレン*15 はBTEXと呼ばれ,ベンゼン環を含む様々な有用物質合成の出発材料に用いられる.これらのうち(65)エチルベンゼン以外のものはBTXと呼ばれ,石油化学基礎製品*16に含まれる.
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(63)ベンゼンの水素原子を1個塩素原子に置換した(67)クロロベンゼンからは,殺虫剤が合成されていた.(63)ベンゼンを(18)プロピレンと反応させて得られる(68)クメンからは(69)フェノールと(51)アセトンが得られる.(69)フェノールは様々な医薬品を合成する際の出発物質となる.たとえば(69)フェノールから得られる(70)サリチル酸を(50)無水酢酸と反応させると,鎮痛作用のある(71)アセチルサリチル酸*17が得られる.これは人類が最初に合成した医薬品であり,世界で最も大量に製造されている医薬品である.


一方,(70)サリチル酸を(38)メタノールと脱水縮合すると,消炎作用のある(72)サリチル酸メチル*18が得られる.(63)ベンゼンから(73)ニトロベンゼンを経由して合成される(74)アニリンも,様々な医薬品合成の原料となる.たとえば(74)アニリンと(50)無水酢酸とを反応させて得られる(75)アセトアニリドは,かつて解熱剤に用いられていた.(64)トルエンを酸化して得られる(76)安息香酸には抗菌作用があるので,安息香酸のナトリウム塩が食品の保存料に用いられる.(69)フェノールと(46)ホルムアルデヒドからは熱硬化性樹脂のフェノール樹脂が合成される.(63)ベンゼンに水素を付加すると(77)シクロヘキサンが得られる.

5.2 二置換ベンゼン

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(78a)o-クレゾール(78b)m-クレゾール(79c)p-クレゾールは消毒薬として用いられる.ベンゼン環が2個つながった(79)ナフタレンは防虫剤として用いられる.


パラの位置に2個のカルボキシル基 (-COOH)*19 をもつ(80)テレフタル酸は,ペットボトルやポリエステル繊維の原料である(81)ポリエチレンテレフタラート(PET)の材料である.ポリエステル繊維は医療従事者の作業着,ベッド,担架などに用いられる.

6 窒素を含む有機化合物

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アンモニアのH-を1個ずつメチル基 (CH3-)に置換して行くと(82)メチルアミン(83)ジメチルアミン(84)トリメチルアミンとなる.(82)メチルアミンは動植物の腐敗に伴って生じる悪臭源である.(83)ジメチルアミンは(89)N,N-ジメチルホルムアミド(DMF)の原料となる.(84)トリメチルアミンは魚の臭いの主成分である.(84)トリメチルアミンが配位共有結合によってさらにメチル基と結合すると(85)テトラメチルアンモニウム塩となる.この物質には神経毒性がある.貝類の中にはこの物質をもつものがある.神経のメカニズムを研究する際に用いられることがある.
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(86)尿素は保湿剤に用いられる.生化学実験では蛋白質や核酸の立体構造を壊す変性剤として用いられる.(86)尿素を(46)ホルムアルデヒドと反応させると,熱硬化性樹脂の尿素樹脂が得られる.(87)アセトアミドは様々な薬品合成の出発材料に用いられる.(88)ホルムアミドは生化学実験でRNAの変性剤に用いられる.(89)N,N-ジメチルホルムアミド(DMF)*20 は,や水やほとんどの有機溶媒と任意の割合で混合可能な溶媒であり,高分子化学や生化学分野の実験に用いられる.(90)アセトニトリルは水と任意の割合で混合可能な,極性をもつ有機溶媒であり,生化学実験に利用される.
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(91)アミノ酸が脱水縮合により多数つながった生体高分子が(92)蛋白質である.不斉炭素原子*21 に結合したRには20種類のものがある*22
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人類が最初に開発した合成繊維は,(93) 6,6-ナイロン(ナイロン66)である.この物質は,(94)アジピン酸(95)ヘキサメチレンジアミンの脱水縮合によって合成される.


(96) 6-ナイロン(ナイロン6)は日本で開発された合成繊維であり,(97)ε-カプロラクタム*23の開環重合で合成される.(93) 6,6-ナイロンも(96) 6-ナイロンも機械的強度に優れ,ストッキングやスポーツウェア,ロープなどに用いられる.6,6-ナイロンの繊維は絹の肌触り,6-ナイロンの繊維は木綿の肌触りと表現されることがある.
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ニトロ基 (NO2-)をもつ有機化合物には爆発性のものがある.(45)グリセリンと硝酸から得られる(98)ニトログリセリンは爆薬であるとともに,狭心症の治療薬でもある.(99)2,4,6-トリニトロトルエンはTNT火薬の主成分である.

糖類

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医療に携わる者にとって(100)グルコース(ブドウ糖)は身近な化合物である.栄養補給のために点滴を行う際の輸液中には,(100)グルコースが含まれている.(100)グルコースが脱水縮合でつながった天然高分子化合物がセルロースやデンプンである.両者は分子内における(100)グルコースどうしの結合構造が異なる.どちらも加水分解すれば(100)グルコースになる.

関連リンク

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*1:IUPAC命名法と呼ばれる.

*2:試薬会社から取り寄せた薬品のラベルには,名称と共に構造式も描かれているので,名前の付け方が分からなくても全く困らない.この世界で化合物の名前の付け方を詳しく理解していることが求められるのは,新規化合物の合成に取り組んでいる有機化学者くらいのものである.

*3:100種類すべてが医療に関係しているわけではない.他の重要物質を説明するために比較対象としてとりあげているものもある.

*4:1,3-ブタジエンには構造異性体の1,2-ブタジエンも存在するが,単に「ブタジエン」と言った場合には前者を指すことが多い.

*5:この合成ゴムは,スチレンゴムやSBRと呼ばれる.

*6:PVAの名称が「ポリビニルアルコール」であるため,「ビニルアルコール」を重合させてPVAを合成すると勘違いする者がいる.これは不可能な合成法である.「ビニルアルコール」は手に入れることができない化合物なのだ.ただちにアセトンに変化してしまう.

*7:ビニロンは1939年に日本で開発された,人類が2番目に開発した人工繊維である.1番目はナイロンである.

*8:塩化ビニルと塩化ビニリデンの共重合体をサランと呼ぶ.

*9:一般にテフロンと呼ばれている材料の主成分はPTFEである.

*10:エタノール:水=70:30の体積比で混合

*11:日本薬局方ではイソプロパノールとなっている.

*12:無水酢酸と氷酢酸とは異なる物質である.

*13:高校の化学には「幾何異性体」と書かれている.

*14:エタノールはエチルアルコールとも呼ばれる.酢酸とエチルアルコールのエステルなので,酢酸エチルとなる

*15:オルトo-,メタm-,パラp-の位置関係を正しく覚えよう.

*16:BTXとエチレンとプロピレンとブタジエン.

*17:別名はアスピリン.頭痛薬バファリンの主成分.

*18:消炎鎮痛剤サロメチールの主成分.

*19:カルボキシ基と呼ぶ場合もある.

*20:単にジメチルホルムアミドと呼ばれることもある.

*21:93の構造式中で*の付いた炭素原子.4種類の異なる置換基をもつ炭素原子を不斉炭素原子と呼ぶ.

*22:厳密にはプロリンが異なる構造をもつが,ここでは省略する.

*23:単にカプロラクタムと呼ばれることもある.