読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・野島 高彦)

学生から学ぶこと

大学は学生が教員から一方的に学問を教わる場所,というわけではありません.専門分野の考え方と知識は教員から学生が学ぶものですが,それと同時に教員も学生から多くのことを学んでいます.ときどき,そっちの方が多いんじゃないかと思うことがあります.

こういうオトナには,ならない

20年以上守り続けてきた決意があります.それは,「近頃の若い者は(以下略)」という,自分よりも新しい世代を見下した批判をするオトナにはならない,というものです.

「近頃の若い者は(以下略)」という次世代批判は,何世代も続く悪い習慣です.こんなことを言われて嬉しく思ったり,モチベーションを高めたりするのは相当の変わり者です.

だいたい,そんな批判をしたところで物事は何も良くならないし,そう言っている本人だって何年か前に同じように批判されて不愉快な思いをしているのです.その不愉快な思いを心の奥に温存しておいて,何年か経ってから自分よりも下の世代,多くの場合は立場の弱い相手,にぶつけるようなオトナはイヤです.

「近頃の若い者は(以下略)」にはたいていの場合,「武勇伝」がセットになっています.「自分のときにはこれをやったんだ! どうだスゴいだろ! それなのに今の連中ときたら(以下略)」というものです.

これだってアヤシイものです.

批判されている側にはその内容を検証しようがないし,しょうがないので心のこもらない声で「はい.はい.」と返事をすることしかできません.しかも,その武勇伝だってセコいハナシばかりです.世界一の海賊王になったとか,音楽CDを1億枚売ったとか,そういうスケールのハナシなら別ですが*1,なんだかよくわからない自慢話だったりします.

なんなのかと.

そういうわけで,高校生から大学生にかけての時期に私は,自分がオトナになったときには「近頃の若い者は(以下略)」などとは死んでも口にしない,との決意を固めたのでした.教員になり,大学で関係してきた学生にも,もしも私が「近頃の若い者は(以下略)」などという人間になったら,即座に縁を切ってくれ,と言ってきました.

化学講義を担当しはじめたころに考えていたこと

北里大学で学部1年生対象の化学講義を担当し始めたのは2009年4月のことでした.このとき私は,自分自身が大学時代に受けた講義を思い出し,私自身が気に入っていた方法で講義をやろうと考えました.たとえば,

黒板を使って重要事項を説明するだけ
あとは自分で教科書なり参考書なりを読んで好きに勉強すればよい.勉強のやりかたを工夫するのも大学生のシゴトである.
講義ごとのミニテストだとかミニレポートだとかはやらない
勉強スケジュールは自分で立てればよい.講義時間は講義のためにある.学習塾じゃないんだし.
成績評価は試験一発
泣いても笑っても試験がすべて.出席点だとか提出物だとかが学力を保証するわけではない.

何週間か講義をやったとき,履修者がどれくらい理解しているのかをちょっと試してみようと思い,医療工学科で簡単なテストをやってみたことがあります(高校物理レベルの計算).ところがこのデキが想定外に低く,単位は間違っている,累乗の計算は間違っている,小数点の位置がずれている,という解答が集まりました.それで,その次の講義のときに,「このレベルの計算が正しくできないような者が工学を修めるとはどういうことか(以下略).自主的に計算問題を解いてトレーニングせよ!」と言ったのですが,そう言われてどうにかなるわけでもなく,前期試験でも後期試験でも,計算問題に関しては明らかなトレーニング不足が認められました.

それでどうしようかと考えたわけです.講義のたびに確認テストをやったり,毎回課題を出している教員もいます.そうすれば少なくとも毎週少しずつ学習到達度をあげて行けるかもしれません.私の化学講義もそうしないとダメなのでしょうか?
しかし,

「手取り足取り勉強方法を教えてもらうのが大学生の姿なのだろうか? 自分でなんとかするのが大学生というものではないだろうか? 私のときはそうだったし.」

という考えから,2年目(2010年度)も基本的に前年度と同じように講義を進めることにしました*2.やはり,返ってきた答案の計算問題の結果を見ると,「こんな調子で工学系の学問を習得できるのだろうか?」という調子のものも少なくありませんでした.

そんな私より100倍以上立派である

震災の後,被災地支援のための募金活動をはじめたいという学生が相談に来るようになりました*3.大学に活動を届け出るためにはどこにお願いすればよいだろうか,とか,募金箱を置かせてくれそうな場所はどこだろうか,とか.

あるとき,募金箱をつくるために道具と作業場所を貸して欲しいというので,カッターとかテープとかを貸し,実験台の上を作業スペースに開放しました.

「そっちを先に曲げておけよ!」とか「あ"ー,そこを切ったらダメだろ!」とか言いそうになるのを抑えている私の近くで,時間をかけて募金箱づくりが進んでいました.慣れない手つきで進められている作業を見ながら私は,誰かに命令されたわけでもなく,わざわざ春休み期間に大学に出て来て被災地復興のために何かしようとしているその姿に心を動かされました.少なくとも私には,大学時代に誰かのために何かをやろうと考えて何らかの行動に移した記憶はありません.そんな私より100倍以上立派です.

脳天に100万ボルトの電気ショック

ある日,募金箱づくりをやっていた学生が二人やってきました.ノートPCの調子が悪いのでどうにかしてほしいというものでした*4.その流れで医療系の実験だか実習だかのためにつくったというExcelのファイルの話になり,二人はそれぞれ実験台の上でノートPCを起動してファイルを開いてシートを見比べながら「ああでもない,こうでもない」と相談を始めました.一人は自力でファイルを完成させており,もう一人も自力でほとんど完成させたものの,どこかで引っかかっている状態で,そこを何とかしようとしているのでした.

それで私は

「お,こっち,できてるじゃん.じゃ,これをちょいとコピーさせてもらってだな,パラメーターを変えればOK! USBメモリー,ある?」

というライトなノリでコメントをしました.
これに対してこの学生からは,

「それはダメです! そういうことをやると,今はなんとかなっても,卒業後の自分が困るからです! 私はそういうことをしたことがありません!」

という答えが返ってきました.

このとき私は脳天に100万ボルトの電気ショックを喰らいました.
確かにそのとおりなのです.学食の日替わりランチを1回おごるという交換条件で毎回,数学科の先輩にFORTRANのプログラムを書いてもらっていた私は,プログラミング能力を身につけることなく現在に至っているわけです*5

学生時代に何をやっていたのかと.

そんな私と比べて,私の目の前で計算ファイルと真剣にとっくみあいしている学生は100倍以上立派です.こういう学生が卒業後,震災でgdgdになった日本を医療の面から支え,未来の社会を建設してくれるのです.

自分で気づかないうちに流されている

電気ショックでシビれたアタマが回復してから私は考えました.未来の社会を建設するために,私は何をすべきなのでしょうか?

私の仕事は卒業後に医療の仕事に携わる学部生を教育することです*6.となると,信頼できる技術と考え方を学生に持たせることが使命となります.そのためには何をすればよいのでしょうか? 私自身の担当する化学講義で最も悩ましい問題は何でしょうか? 間違いなく,ダメダメな改善の余地がある計算能力です.これを何とかするのが私の仕事なのではないでしょうか? そのためにはどうすれば良いでしょうか? 講義のたびに確認問題を解かせ,計算問題が「できない」という事実に気づかせ,解法を配って毎週勉強させるべきなのではないでしょうか?

もちろんこれは私自身が2年間続けてきた方針に進路変更を迫るものです.しかし,よく考えてみると,「大学生は,こうあるべし.自分のときは,こうだった.」という考え方は,私自身が20年以上にわたって憎んできた「自分のときにはこうだったのに,今の連中と来たら以下略」という考え方と同じわけです.そして,この考え方の先には「近頃の若い者は(以下略)」がつながるわけです.自分で気がつかないうちに私は,自分自身がもっともなりたくない姿のオトナになりかけていたわけです.計算シートを見比べながら「ああでもないこうでもない」とやっていた二人の学生は,これを私に気づかせてくれたわけです.

地獄の単位換算付き計算問題

というわけで,2011年度は単位換算とか累乗の計算とか物理定数の導出とか,できそうでできないややこしい計算を医療工学科では20回近くやりました.やってみると多くの学生は自分自身に計算能力がないことに気づき,答えをよく読んで理解してくるのです.前期試験では約8割の学生が,面倒な単位換算を必要とする物理化学計算問題を正答しました.こうした基本的な技術は,信頼される技術者となるために,そして,未来の医療を支えて行く専門家として必要なものです.「ああでもないこうでもない」とやっていた二人の学生は,間接的に未来の社会の健康に貢献しているわけです.

『この地上にあるもので、大学ほど美しいものはあまりない』とジョン・メイスフィールドはイギリスの大学の賛辞のなかで述 べています。(中略) 彼が大学のすばらしい美しさを賞賛したのは、大学が「無知を憎む人々が真理を知ろうと努力し、真理を知っている人が、他の人々の目を開かせようと努力する場所」だからです。

これはケネディが1963年に行った演説の一部です.化学講義の1回目に紹介している言葉です.ここで,「真理を知っている人」が大学教員,「真理を知ろうと努力している人」が学生だとは限りません.大学では,「学ぶ」という点において,教員が学生から学ぶことも少なくないからです.

Acknowledgement

診療放射線技術科学専攻3年で 北里キャンパスナビゲーターの あすかってぃ & のち★:) に感謝します.100万ボルトの電気ショック,効きました.マジで.

このブログを書いている人

takahikonojima.hatenablog.jp

*1:そもそもそういうスケールの人物はつまらない批判をしません.

*2:モル計算と水溶液濃度計算と原子核壊変速度論はくわしく解説しましたが.

*3:東日本大震災:学生による募金活動

*4:トラブルシューティングできたのかどうかは忘れてしまいましたが.

*5:べつに困ってないけど←機会損失.

*6:担当している講義の話です.北里大学には医療系ではない生命系のコースもあって,実験とかリメディアルとか演習とかも私は担当しています.