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Life + Chemistry

化学の講義録+大学を楽しく面白い学びの場に変える試みの記録 (北里大学・野島 高彦)

戦争の記憶

雑記

8月に入ると,戦争を扱ったドラマがTVで放映されたり,新聞や雑誌で特集記事が組まれたりします.しかし,当時の暮らしを実際に経験した人から,言葉として体験談を聞くことができる時間は限られています.終戦から65年が経過し,今では戦時中の暮らしを体験していない世代が人口の過半数を占めているからです.

その一方で,人間の言葉というプロセスを経ない「物」は,これからも残りつづけます.過去の出来事を考える際には,人間の主観が入らない「物」に着目することにも意義があります.

カラーフィルム

前期講義で核エネルギーの応用を述べた際,人類史上最初の核爆発実験の様子を収めた動画を紹介しました.1945年,第二次世界大戦が終わろうとしていた頃に撮影されたその動画は,カラーフィルムに記録されています.また,当時のアメリカ軍は,様々な記録を精力的にカラーフィルムに収めています.ここに国力の違いをみることができます.

当時のカラーフィルムは,現像する際に3原色それぞれの化学処理工程を必要とするものでした.モノクロフィルムと比べて,製造にもコストがかかります.カラーフィルムは特別な場合にしか使うことのできない贅沢品だったのです.アメリカ軍はそれを惜しげもなく使って記録を残しています.資源のまったく無い私たちの国が戦った相手は,豊富な資源をもつ大国でした.この国力の差が,戦争末期の人々の暮らしをどのようなものにしていたのか,カラーフィルムという「物」が教えてくれます.

コンクリート

私は小さな飛行場の近くで生まれ育ちました.その飛行場は東京を守るために陸軍によって作られたものです.完成は1941年.飛行場の周囲には排水路がつくられました.いくつかのサイズの砂利を適切に組み合わせつつ,資材を豊富に組み合わせて作られたことが,最近の調査からわかりました.飛行場をつくりはじめた段階では,排水路にまで十分な資源をまわすだけの余裕があったのです.

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一方,1944年からは,敷地内外に掩体壕(えんたいごう)がつくられはじめました.掩体壕(えんたいごう)とは飛行機を空襲から守るための建造物です.敵の戦闘機がやってきて飛行場を攻撃した際にそなえて,鉄筋コンクリートの屋根の下に飛行機を格納しておくのです.

この時期につくられた掩体壕が,現在も2軒残っています.

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内側に入り,屋根に手を触れると,細かい砂が落ちてきます.河原にある砂利のような石があちらこちらで顔を出しています.当時のコンクリート調製手順書が残っており,そこには,セメントの使用量を減らすために砂利や砂を多めに配合したことが記されています.そのため,60年以上が経過しているとはいえ,手で触れただけで崩れはじめるような状態になっているのです.

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1941年には排水路に豊富な資源を利用できました.しかし,その3年後には,戦闘機を守るための重要施設である掩体壕に用いるセメントさえ枯渇していたのです.くずれ落ちるコンクリートから,戦況が急激に悪化して行った3年間のことが想像できます.

コンクリート内の鉄筋も,標準的な規格のものが使われておらず,十分な太さをもたない様々な規格のものが組み合わさって使用されていることが,最近の調査からわかりました.戦争末期で金属資源も枯渇しており,あちらこちらから何とかしてかき集めた鉄を使用したのでしょう.

コンクリートも鉄骨も,言葉では何も語りかけてきません.しかし,それゆえに私たちは自分自身で当時の戦争がどのような状況で続いていたのか,その頃に人々はどのような暮らしをしていたのか,といったことを想像してみることができます.

言葉であること,言葉ではないこと

「物」は言葉を発しません.しかしそれゆえに,人間の主観が入り込まない「事実」が浮き彫りにされます.私たちはそこから,自分の体験することのなかった時代や出来事について想像することができます.体験者の「言葉」に耳を傾けるのと同様に,今も残されている「物」に向き合うことも,過去の時代を理解するために意義のあることです.

注記

なお,この掩体壕は,戦後65年の間に鉄筋が抜き取られたり(朝鮮戦争で鉄が必要になったので),老朽化が進んだりしたため,普段は中に入ることができません.しかし,先月のおわりに特別に立ち入る機会がありました.そのいきさつは別記事に記しました↓

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